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金融機関にとって、貸し倒れや不測の事態にクッションとなり破綻の連鎖を防い でくれる自己資本は確かに大切である。 それは多いにこしたことはない。 し かし、今自己資本を算出している方式は正直言ってそのような目的から全くはず れた形式的で杜撰きわまりないものである。 株式の含みの45%は自己資本に 算入してよいが、もしトータルで含み損となればその時は原価で評価すればよく 自己資本から差し引かなくてよい。 また土地の含みの一部を自己資本に算入 しようという動きも出た。 実態は変わらないのに形式的に数字を取り繕ってな んとか8%を達成させようというものである。 しかし、そうやって数字を作ったところでその銀行の危機対応能力に何の変わり もない。 さらに問題債権をどう分類して、どれだけ正直に償却するかで当面の 自己資本は大きく変わってくる。 銀行の不良債権に対する姿勢(開示情報)自体が疑われているときに、自己資本比率1−2%が実際どれだけの重要性を持つ というのだろうか。 それでも世界的な金融不安の中、銀行への公的関与がなされないのであれば、たとえまやかしであろうとも一応の基準として8%が設定 されるというのは理解できなくはない。 しかしながら、日本では政府が大手行は破綻させないし、万一の時も国が責任を もって流動性を供給すると宣言しているのである。 さらに昨秋の拓銀・山一ショックの時にはインターバンク取引まで政府保証するという発言がなされ、また 長期信用銀行の利金債も政府が保証を約束するなど、日本の銀行はすでに事実上公的管理下に入っているとも見られないことはない。 どうせいざというとき は超法規的にでも政府が手を差しのべて金融システムを守るということなら、な ぜ各金融機関が今一斉に8%(4%)なりの自己資本比率を達成しなければいけ ないのだろうか。 あまり無責任なことは言えないが、おそらく大手銀行が資産を保守的に評価しそ の目減り分を自己資本から控除すれば、8%以上の自己資本比率を維持できるの はほんの数行あればよい方だろう。 逆に言えば自己資本比率8%を達成しなけ ればならないから、日本の銀行は思いきった不良債権処理をせずに業務純益と相 談しながら恣意的に不良債権を処理してきた。 これは言葉は悪いがやはり粉飾と言わざるをえない。 債権が劣化する時には銀行の資本に配慮などしてくれない。 劣化した債権をそ れとして処理しないのは粉飾である。 粉飾までして8%を取り繕い、それでも 足りない時は無理やりでも資金を回収して資産を減らす − 非常に無益な行為 で、いびつな姿である。 こう書くと「そんなことを言ってもBIS規制は国際的取り決めであるのでとに
かく従うしかない。 それに金融機関の自己資本充実は誰もが必要だと認めてい
るから8%は最低でも達成しなくてはならない」という声が聞こえてくる。 もちろん、金融機関が市場で容易に資本調達をできるならばそうするにこしたこ
とはない。 しかし、昨今は金融機関以外の多くの日本企業が市場で資金調達不
能になりかかっている状態である。 日本の現状がまだ間接金融に偏っているこ
とを考えると、一般企業の資金調達を押しのけてまでも金融機関が資本調達すべ
きだとは思わない人が多い。 冒頭で述べたように現在主流なのは前者である。 しかし、3月に長銀に資本注
入したことからも公的資本注入は淘汰されるべき金融機関の温存と、粉飾の継
続、およびそれに伴うモラルハザードを助長することが懸念される。 また粉
飾を続けながら8%という数字にこだわりつづけるので貸し渋りもなくならな
い。 金融システム安定のための自己資本比率規制が逆に金融システムを危うくするな どという茶番は早く止めなければならない。
誰もが知っているように選挙の際に現金を渡して投票を依頼すれば公職選挙法違反となり、政治家でいられなくなる。 たとえ、それが自分が正々堂々と稼いだ金であってもである。 とはいえ、利益誘導の恩恵を受けられる人びとは限られているので、多数決の選挙においては正しい政策をまげての利益誘導は効を奏さないはずである。 「ふざけやがって」と思うものが他の候補に投票すればそもそもそういう利権政治家の集まりが過半数前後の議席を占められはしない。 仮に地方の一選挙区の有権者数が都会の半分で、地方の投票率が都会の倍で、高年層の投票率が若年層の倍だとする。(現実離れというほどの仮定ではなかろう) すると、地方の高年層は都会の若年層の8倍のインパクトをもつことになる。 さらに、地方は都会より地縁・血縁が強いので、より少数の実力者を押さえれば当選することができる。 さて、実際今地方で実力者というと農協幹部、土建業者、郵便局長などである。 そして最近の政策決定は窮地に立たされている彼らおよび政治家自身に手を差し伸べる形でなされている。 長銀の場合にも、傘下のノンバンクには相当数の農協が総額ではかなり貸していると言われていることから、長銀の日本リース等ノンバンクに対する債権放棄と、ノンバンクの大口債権者(農協には少ない)に限った債権カットというやり方には同様な意図が見える。 さらに長銀は政治家絡みの融資が多いとも言われており、破綻/清算はそれらの「怪しい融資」を白日の下にさらすことになる。 一方政府はまだ以前の景気対策も終わらず、またその内容もあいまいなまま十兆円超の新たな公共投資を行うとアドバルーンをぶち上げた。 当分は金融関連法案と、前国会から懸案の旧国鉄債務処理問題でてんやわんやとなるだろうことは予想がつくので、「景気状況が深刻であり一刻の猶予もない」ことを口実に多少目新しいものはつくだろうが結局従来型(土建中心)の公共投資となるだろうことは想像に難くない。 ここまで政府自民党のやり方ばかり批判してきたように見えるかもしれないが、社会党−社民党−民主党も利益誘導の方向が労働組合およびいわゆる「社会的弱者」であるだけで本質は変わらない。 利益誘導が政治の役割の一つであることは私も認める。 しかし、それはあくまで「一つにすぎない」のであってよりよいシステムを作るという国益が先であることは言うまでもない。 すでに官僚が「省益あって国益なし」と言われるような状況で政治家まで「合法的汚職」にいとまがないのだとしたら日本経済の将来は暗いと言わざるをえない。
誤解のないように述べるが、私は一定レベルの公共投資や減税や公的融資制度が必要ないと言うつもりはない。 それらは景気底割れ防止のために必要である。 ここで考えてみたいのは、それら大量の財政出動をしたとして、果たして国民の不安は解消されるのかということである。 結論だけ先に言えば、リスクを取ることを人びとが不安と考えている以上、不安は解消されないであろうと思われる。 今の人びとの不安の際たるものは、自分が仕事を失う(就職できない)のではないか、給料が下がるのではないか、年金が十分支払われないのではないかなど、広い意味での将来の収入に対する不安である。 私などはフローよりストックの傷みを心配して欲しいと思うのだが、預貯金や金融債や生保契約までなかば政府保証となっている現状ではそれほどの不安を持っているようには感じられない。 しかしながら、今唯一最大の課題として政府が取り組んでいる不良債権処理は将来に対して何も保証するわけではない。 改めて言うまでもないかもしれないが、不良債権は反対側から見れば「命綱の借り入れ」である。 不良債権処理を進めるということは、事実上死に体となっている企業・個人に正式に死刑宣告をするということである。 昨今の企業倒産を見てみると、会社は実質債務超過となってからも相当期間それをカムフラージュし、その間大リストラや給与大幅カットもなく倒産に至る例も少なくない。 不良債権処理の進展とともに当分は倒産、失業とも増加せざるをえない。 また、親会社から子会社や孫会社への出向に伴っては、身代わりに失業する人びとが出ているであろうことは想像に難くない。 また拓銀や旧山一証券社員の相当部分が再就職しているが、2社の倒産で金融業界にも製造業にも仕事が減りこそすれ増えたわけではないので、どこかでしわ寄せで失業した人びとがいるはずである。 このように甲の失業・再就職で乙が職を失い、乙の再就職で丙が職を失うという連鎖が起こるわけだが、やっかいなのは、最終的に押し出されて失業する人だけではなく、一度失業/転職を余儀なくされた人のほとんどが自分の将来に不安を感じるようになってしまうことである。 また、第二分類に属している企業が生き残ろう(融資をとなぎとめよう)とすれば、多くの場合雇用・給与カットは避けて通れない道となる。結果として、自分の努めている会社が倒産しても生き残っても社員の生活の安定性は損なわれる。 大型の公共投資や公的金融の拡充は、これら「第二分類的企業」の延命には寄与するだろう。 もちろん、それらの企業の中には目先の難局さえ乗りきれば洋々たる未来が開けるような会社もあるだろう。 しかし、大部分はかなり長い間経営が苦しい中、財務体質を犠牲に雇用と給料をできるだけ維持してきた会社であろう。 そして同じ業界の多くの企業が水面すれすれでアップアップしている。 個々の会社は勿論延命に必死になるが、そういう会社が政策の恩恵で生き延びても経営体質や差別化のない過当競争が変わらない限り収益の本格好転は望み薄である。 のみならずそれはマクロで見れば不効率部門の温存とも言える。 実際銀行業界はバブル崩壊以降、低金利の下時間を稼ぎながら業界全体の回復を待ったが結果は無残なものとなった。 銀行員のモラルが際立って高いとは思わないが、平均を大きく下回るとも私は思わない。 建設業界でも不動産業界でも時間とともに状況は改善していないことからも、他の業界でも一時しのぎ的な延命は結局は総負債をふくらませることになると強く推測される。 結局ある程度の淘汰と再編を経ずして業界の収益構造は改善されず、企業収益が全体として改善されなければ雇用や給与への不安もなくならない。 投資収益冬の時代が延々と続くのを見ている者として、給与や雇用の調整や不採算企業/部門の淘汰は明らかに遅れている。 株式もち合いや日本独特の労使慣行はあるにせよ、資本はアンバランスな打撃を受けながらその認識は世間では薄い。 ビッグバンを控えて資本へのリターンの好転のきざしすら見えてこないようだと、資本の海外流出も更に進むだろう。 リターンのないところに新たな投資はおこらず、投資のないところに新たな雇用は生まれない。 グローバルスタンダードという言葉を聞かない日がないような今日このごろであるが、現在の日本人の所得、貯蓄、失業率を一度国際比較してみることが必要ではないのか。 企業内(潜在的)失業が多いと言われるが現在の日本の失業率は10%近い欧州はおろか、絶好調といわれる米国のそれをまだ下回っている。 とはいえ、事が心理的なものだけに経済の「水準」だけではなく、その向かっている「方向」が大切であることも事実である。 しかし、残念ながら連合が言うような「給与アップ、時短による雇用維持、個人の税・社会保障負担減」からは未来への確信は生まれては来ないだろう。 企業収益や国家財政を大きく圧迫する形での不安解消策は株式や円に対する信頼をより失わせるとともに、投資とそれにつれて雇用の海外への流出を招く。 株価や為替が一日何度もニュースで流される今日、株高・為替安定なくして景況好転は非常に困難である。 実際最近の不況はほとんど全て株安に先導されている。 株高(投資収益改善)の足かせにならないというのは今後取られるべき政策の必要条件である。 不安を解消しようという時にただ保護的政策をとるだけでは、不安の中に立ち尽くす方が下手にリスクを取って進むより得になりかねない。 政策は現実を扱うだけに人びとの損得感情をうまく利用することが大切である。(人は他人の行為の善悪を論じつつも自分は損得で行動しがちなものである) マスコミで支配的な大衆性善説にもとづく安易なヒューマニズムに流されることなく、不安心理を時には利用して貯蓄から消費や投資に振り向けるような巧みな手綱さばきが政策当局には求められる。 日銀が物価安定至上主義の旗を下ろし、政府が保護/裁量行政(護送船団方式)から公開されたルールに基づく行政に変更すれば、人は不安と言っている前に行動せざるをえなくなるのではないだろうか。
世界中の市場が動揺している(ボラティリティーが高くなっている)と言ってしまえばそれまでであるが、私には上記の動きが一つの転機を示しているように見える。 為替はさておくとして株と債券の不均衡が極だってきている。 以前私はMLにてイールド・スプレッドはいくら最近の平均に比べて割安だからといって、それがプラスである保証すらないと書いたが、恐ろしいことに−1%を割り込み、なんと配当利回りまで長期債(10年)金利を上回っている状況である。 もちろん、前々回人口問題でも触れたように、日本経済が縮小に向かうとしたら−1%程度のイールドスプレッドのマイナスでは割安とはいえない。 株式のバリュエ−ションをデフレの中の長期減益を前提に考えれば、更なる下落余地は十分あることになるだろう。 今、地方自治体や政府の隠れ債務を含む日本の公的部門の債務残高はGDPを凌ぐと言われている。 なるほど、政府にはいろいろな資産もあろうが、デフレ下ではそれも萎み続ける。 これから数年間も企業収益が萎み続ける中、日本政府の財務体質が悪化しないとは私には考えられない。 巨額の財政出動と減税にもかかわらず日本経済が今の悪循環から抜け出られないのなら、債務は雪だるま式に膨れあがり、少子化もあいまって日本政府がその債務を返済することは事実上不可能になる。 そうなれば今はいかに安全そうに見えていても国債もジャンク債同様になるだろう。 一部には日本は米国と違って世界最大の債権国だからその国債の格付けは最高で 結局、日本経済がこのままデフレの泥沼の中へ沈み込むなら、債券といえども無傷ではいられず、円・株とともに奈落の底へ沈んでゆくのではないか。 日本経済の先行を本気で悲観するならこの円高を利用して、先行き見込みある地域の株・債券を買うべきである。 いかに不況とはいえ、日本企業の売上高の水準自体はまだ非常に高い。 周知のように問題は利益率が極めて低い事である。 これは国民性によるところも大きいが、逆に見れば改善の余地がそれだけあるとも言えるのではないか。 日本経済の再生には法人部門の強化(投資環境の改善)と、極端な規制および平等主義からの脱却が必要であるとの認識は有識者には共通している。 あとはリーダーが支持母体の反発を恐れずそれら「現状からすれば資本家寄り」の政策を進められるかの問題であろう。 日本は政治家がついこの間まで「銀行救済には一円たりとも税金を使わない」と言いながら今日には「大手行の体力強化にはいくらかかろうとも公的資金を投入する」と言いだしても暴動一つ起こらない国である。 これは大きな政策転換の可能性を示唆するものではないか。 一方長銀のなりふり構わぬ救済、および大蔵省と金融界や防衛庁と関連業界癒着のように、政・官・財の不透明な関係はうまく機能しなくなってきていることは多くの国民が感じている。 これまで政治家は国民に「あれも大丈夫、これも大丈夫」と言ってきたが、最近では大変な状況であることはもうほとんどの国民が感じ取っている。 リーダーが「本当のことを言うとパニックになる。」「脅しを利用して自分たちに有利な方向で問題を処理しよう。」「国民の幸せは我々の方がよく解っているので裁量行政をする」という考え方から、「下手に隠すことが臆測をよび問題を複雑にする。」「脅しを利用するなら経済活性化のための構造改革につながるように。」「自己責任を原則
この問題に対して銀行側の言い分は大体「銀行員の職務は高度で重く、社会的責任も大きい。 それに私企業の給料をどうのと政治や世論が口を挟むのはおかしい」というところである。 それに対し、世論や政治家の言い分は「バブル醸成・崩壊ともに金融機関の責任は思い。 そのつけは不況と低金利という形で預金者および全国民に及んでおり、その犠牲のもと上がった業務純益がいくら高くとも現給与水準は高すぎる。」というものである。 (なかには銀行員側からの「何もわかっていないくせに嫉妬でさわぐな」という、また大衆側からの「汗水流さず儲ける奴は何か悪いことをやっているはずだ」という偏見にもとづく感情論もあるだろうが、それらはここでは問題にしないことにする) さて銀行員の職務がどれほど高度であるかには簡単な結論は出せない。 支店で一般的な業務を行っている行員に要求される能力と投資銀行的業務を遂行するに要求される能力には余りに大きな隔たりがあるだろう。 そもそも世の中の職業に必要とされる能力の高低を細かく評価することは不可能にちかい。 それとは別に医者や弁護士など能力もさることながら道徳的見地からも高い報酬が一般に認められている職業もある。 かつては銀行員(バンカー)もこの領域に分類されていたのかもしれないが、バブル以降モラル面からプラスの評価をすることには無理がある。 私見としては、この目まぐるしい技術革新の時代にメーカーに勤務している人にも、金融機関に勤務している人と同等程度の知識や対応力が要求されているように思える。 しかし、ちょっと見方を変えてみれば、銀行員の能力・職責うんぬんを言う前に、銀行が私企業として現給与水準を支払うだけの利益を上げていないことは明白ではないのか。
更に大手銀行はこの三月横並びで公的資金による資本強化を申し出ている。 お金に使途は印刷されていないので、長銀への公的資金が日本リースへの債権放棄へと横滑りすると見做せるように、これほど苦しい台所事情の下、現給与水準を維持するということは、公的資金が銀行員の給与維持に使われていると見做されてもやむをえまい。 そもそも不良債権問題が深刻であることは銀行自体にはバブル崩壊直後からわかっていたはずなのに、最近までバブル期の給与体系を根本的に改変してこなかったのは私企業として余りにコストにルーズではなかったか。 しかしながら、もし私企業において経営者と社員のもたれ合いから業績不振と高給与が長期間併存しておれば、そのような経営陣は株主によって排除されるはずである。実際、不良債権の迅速な処理もできず、コストカットも十分にできずに未だバブル崩壊による負の遺産を引きずっているような銀行で、経営陣が株主によって総退陣させられていないことは驚くべきことである。 現状に不満を持っている一般株主は多いだろうが、大手行の主要株主である生命保険会社、他の金融機関、および日本を代表する大企業はこれといった経営改善策を進めようとはしなかった。 こういう持ち合い株主の怠慢のツケも一般国民は払わされているわけである。 これに加え大蔵省(金融監督庁)と銀行界とがまたナアナアの間柄ということになると、もう銀行経営に対して責任ある物言いができるものはいなくなる。 それでもいい加減な経営をしている金融機関は自然に淘汰されるはずなのだが、それも「大きすぎて潰せない」ことになっている。 何の責任も取らないでは国民が納まらないので、経営陣(の一部?)の退陣と行員給与引き下げという「政治的指導」が出てくるという極めていびつな現状となっている。 資本主義におけるチェック機能がほどんど働かない大手行という怪物が、実態のない「世論」という別の化け物によって制裁を受けようとしているのは、何とも皮肉な姿である。 金融機関の整理、再編に関する「公正かつ透明な」ルールの一刻も早い確立が望まれる。
実際政治家はこの何年間か公的資金導入をしようとするたびに「銀行を助けるために公的資金を入れるのではない。 不良銀行を潰すための資金に使うのだ」と発言してきた。ところが農協の台所が火の車となり、BIS規制や早期是正措置との絡みで銀行がいわゆる「貸し渋り」をはじめるにあたって状況は一変した。 「なんでもいいから金をまわせ」という主張が不況に脅える国民の足元を見る形で横行しはじめた。 ほんの1ー2年前まで「銀行は土地を担保にするだけで会社の経営・業務内容を軽視した貸し出しでけしからん」という論評があちこちで聞かれた。 彼らは「土地がないものでも将来有望な会社には金を貸せ」と言いたかったのであろうが、逆に銀行は「担保が余程ない限り、業績不振の会社に金は貸すもんじゃない」と裏の行動に出た。 実際末端ではなりふりかまわぬ理不尽な資金回収も相当行われているのであろうが、バブル期の銀行融資が土地を担保にした新規融資だけ甘かったと考えるのにも無理がある。 今問題となっているのは主に中小企業向け貸し出しの縮小であるが、全法人の相当割合が赤字であることを考えるとそれらの企業の何割かは赤字であることは想像に固くない。 すでに多大な借入れがあって、黒字化の目処が立たないようであれば銀行が新規に貸し出しを行わないのはむしろ当然であるので、問題はそれら「善良な借り手」とされている中小企業群にどれほどの将来への見込みがあるかということのはずである。 残念ながらこの角度からの検証はほとんど行われていない。 規制緩和や無駄な公共投資削減が叫ばれるようになって久しいが、実際はまだ既得権益は幅広く残っており、それを直接/間接に収入源としている企業も数多くのこっているはずである。 もしその「超過利潤」にメスが入るとしたらそれらの企業の業績は悪化する。結果として旧態依然としたビジネスを続けている「境界的企業」の見通しは暗いと言わざるを得ない。 ここからは想像の部分があるので、誤解があったら正していただきたい。 経営が苦しい中小企業の多くは過小資本である。 そしてその多くの経営危機は一時的なものではなく、むしろ慢性化しつつある。 ということは、資金調達は本来どちらかと言えば借入れよりも返済の義務のない増資によって行われるべきではないのだろうか。 もちろん、急場をしのぐための資金が一時的に不足するということはありだろうし、そういう時は借入れに頼ることも必要であろう。 しかし、成長企業以外の慢性的な資金不足に借入れで対処するというのは弥縫策でもある。 BIS規制以前に、銀行は人の預金を貸し出すのだから利子にもよるが取れるリスクには限りがある。 一定以上のリスクは資本でないと取れないだろう。 金策に走る経営者は多いが、それはだいたい借入れのためである。 増資をしようとしている企業は境界的企業ではあきらかに少数派であろう。 「銀行も貸せない会社の株が買えるか」と思う人がいるかもしれないが、「誰も株を買えないような会社に金など貸せない」というのが本当ではないのか。 新興企業がまず株主資本が頼りなのと同じく、境界的企業でも頼れるのは借入れでなく、資本のはずである。実際中小企業ではオーナーの面子とか周囲とのしがらみを気にしてなかなか増資要請に踏み切れないのかもしれないが、もはや銀行は頼りにならず高利貸しからの借入れは破綻への直行便である。 経営者は「でも誰も資本など利子の付かない金を出してはくれない」と言うかもしれない。しかし、永久に大した配当を生まない会社の存在意義とは何であろうか。 厳しい言い方になるがよほど特殊な社会的役割を担っているのでもなければ、すでに財務体質が悪化し、事業の将来性も黒字化の目処も立たない会社は存続するメリットが極めて小さい。 雇用の維持がメリットと言われるかもしれないが、そういう形での雇用維持は必要な経済構造改革の妨げともなる。 規制はとにかく撤廃し、なんでも変革せよという声にそのまま与することはできないが、「ある程度」の変革は誰もが必要だと思っているだろう。 中小企業で過小資本かつ資金不足となっている会社はまず社員や役員に増資引受を要請するべきでないのか。 実際に会社の経営・実務に携わっている人間が会社の先行きについては一番わかっているであろうから。 増資要請なると会社関係者全員で会社の今後について真剣な議論が行われることだろう。 真の自己責任とはこういうぎりぎりのところから芽生えてくるのではないか。 もし、内部の人間の大半が自分の金を資本として会社に投入できない(=これ以上責任とれない)いうことであれば、そこへ銀行に人様の金を貸せと言うことには無理がある。 会社清算やむなしということになる。 皆が資本払い込みという最大限のやる気を見せた企業には復活への道が開かれる。 日本には1000兆円を越える個人金融資産がある。 それに対して中小企業を中心に法人部門の財務状況は悪い。 これは本来個人の資本でまかなわれるべき資金が借入れに依っているからである。 しかし、もはや全てを金持ちに頼る時代ではない。 過重な負担を強いられると見れば彼らの金はどこかへ逃げていってしまう。 今や日本国民の大部分を占める「中流」の人々がなんらかの形で資本を提供しなければ社会が回ってゆかない。上場公開株への投資も必要であるが、自らが一生勤め上げようと思っている会社への投資は一番現実的かつ自己の利益に適う投資である。 同じ10兆円なら10兆円を注ぎ込むならこの方がよほど有効ではないだろうか。
不況感が強まるとともに債券相場は高騰し、国債指標利回りは1%程度まで低下している。
これに対し、株式では株価が一株純資産を大きく割っていながら、益回りが5%を越える(PER20倍以下)ものが少なくない。
これには不都合な情報を隠蔽しがちな日本的経営が一役買っているのだろうが、重大な問題の多くは有価証券報告書を丹念に読めば尻尾くらいは掴めることが多い。
法人税も2割ほど引き下げられ、経済システムがより効率化されようとしている時に、なぜ企業利益が全体として減少してしまうのであろうか。 理由の一つとして、現在の不効率こそが利益の源となっている企業が多くあることがあげられる。 しかし、効率化によって新たな利益が生まれるはずであり、構造改革が法人部門の利益を明らかに縮小するという考えも極端である。 ゆえに、長期的に今一番懸念されるのは人口の停滞・減少により経済が全体として縮小に向かうことであり、また人口減少が人口増加を前提に組み立てられている年金や国家財政に与える影響だと考えるのが妥当であろう。 もし日本が現在まだ豊富にある国民資産を武器に金融立国をはかるなら、もしくは完全な自由貿易体制下で無制限に貿易黒字を積み上げられるなら、人口そして内需の落ち込みにもかかわらず企業収益が増加するということもありえるだろう。 しかし、現実は日本の金融機関は欧米のライバルに立ち遅れ、許容される限度近くの貿易黒字はすでに上げていながらこの不景気である。 本格的な企業収益の改善には内需の盛り上がりが必要であり、そのためには消費の増加が必要である。 しかしながら、高齢化社会が到来しつつある中、一人当たりの消費を伸ばすことは困難だろう。 消費税を3%から5%に上げただけでこうなるのであれば、それを二桁に上げてゆく過程で消費をどんどん伸ばすことは至難の業である。 政策的に貯蓄に対して懲罰的な税制を敷くことによりある程度消費を刺激することは可能だろうが、高年層の投票率が若年層の投票率を大きく上回る状態では政治的に不可能に近い。 かくして消費(生産)する人数を増やすことがいちばんの長期的内需喚起策ということになる。 出生による人口増加ほどではないが、移民による人口増加でも人口構成は若くなるはずである。
彼らには既得権益がない。 彼らと高年層は利益相反する。 もちろん、狭い日本では人口が減ることのメリットもある。 しかし、それは高年層に十二分の配慮がある場合にのみ可能になる。 残念ながら現代世代は「将来のため」といいながら疑わしい公共投資を続け、バブル期までに既に莫大な公的国債・地方債と種々の隠れ債務の山を築いてきたのである。 自発的な将来への配慮などとても期待はできない。 話を相場に戻すと、低金利に加え、法人税引き下げや来るべき規制緩和などで日本に「これまでより」投資しやすい環境ができあがりつつある。 しかし、投資が収益を上げるにはお客さんがたくさんいなければいけない。 多くの若者が「子供をつくりたい」「子供をつくったほうが得だ」と思い、多くのやる気も能力もある外国人が「日本でやってみよう」と思うような方向へ政策が向かってくるかどうかに注目したい。 誰もが住みたいと思う国の株が高くなるのは極めて自然なことであろう。 |
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