新世紀への視点

個人投資家からの視点で、日本を鋭く切る!。全国民必見のコラム!

このページの担当:
藤澤暁夫
MLや掲示板でもお馴染みの個人投資家藤澤さん。

株式投資は自己責任です。ご参考の結果には一切責任を持ちません。

かぶこーネット

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99/2/26(金)「総無責任化」

◆先述の植草氏も述べていたが、前回長銀・日債銀へ投入した公的資金の焦げ付きの責任も問われることなく、7兆円を越える資金が大手金融機関に追加投入されようとしている。 伝えられるところによると、大蔵/金融監督庁は公的資金投入を決定する立場にあった佐々波委員会に銀行の資産の痛み具合を正確に報告していなかったということらしい。 

これで以前より市場で言われていたように公的資金投入の際にまともな審査が行なわれなかったことは明らかである。 今回についても、銀行ごとの資産内容がろくに公開されないままの決定はかなり恣意的であろう。 「最大限のリストラの努力を見せろ」という以外のハードルがあったようにはとても見えない。 裁量のあり方自体は多少改善したとは言えるが、裁量行政の継続は否めない。

法律(ルール)に則った処理が行なわれた場合、責任は立法者である政治家、しいては彼らを選んだ国民に帰せられる。 ゆえに処理を誤った場合、国民負担もやむをえないであろう。 これに対し、恣意的な判断により処理が行なわれて、今回のように委員会の人選の根拠もとぼしく、委員会の決定の合理性を判断する情報も乏しい場合、いくら役人および政治家が「最善を尽くした」「金融システム維持のため仕方無かった」と言っても、ハイそうですかというわけには行かない。 

不良債権問題に着手するチャンスは宮沢大蔵大臣も言うように92年からあったのだ。 いくら慎重にといっても5年というのはどんな複雑なスキームを作るにも足る時間である。 98年はじめまで放っておいたこと自体、未必の故意のようなもので犯罪的であるが、その時点でも処理(清算もしくは国有化)すべきものを税金で延命させたことは明らかな犯罪である。 検察は今必死になって長銀や日債銀から「戦犯」を引っ張りだそうとしているが、それだけでは明らかに片手落ちである。 去年おととしそれらの破綻銀行の頭取であった人々と同じ程度の責任を負うべきものは当局の側にも当然いるはずである。

これは財政投融資の不良債権や、(それに含まれるものもあるが)多くの公社公団の財政破綻の責任についても同様である。 見えないことをいいこと幸いに、多くの真の責任者は問題が発覚する前にすでに退職金を頂戴して転身/引退していることが多いだろう。 中には発覚時にはすでに時効を迎えてしまっている場合もあるかもしれない。 (財投や公益法人の情報公開が進まないのは、少なくとも時効まで責任追求を避けるためではないかとさえ思われる。)金融機関をはじめとする大手企業も公的部門も、その責任者が事業のステークホルダーでないことがモラル・ハザードを招いている。 中小企業経営者や自営業者は失敗すれば全てを失うが、大手や公益法人ではそうではない。  ステーク(事業がうまくいかない場合に失うもの)がない以上、罰則こそが経営・運営に責任を持たせるものであろう。  

こういうからといって、私は経営・運営に失敗して大穴を開けたものは皆刑務所送りにすべきだと言うわけではない。 単なる判断ミスによる破綻は、事態の公表(=経営者としての「前科一犯」公告)、解任、退職金の一部(または損害の程度によっては全部)の返上などによって償われうるものであろう。 反面、問題の隠蔽または先送りを図ったこと(自らの保身)により破綻を招いたような場合は区別して断固とした処置がとられるべきである。 人の命は金で買えないとは言うが、実際何千億という金があれば地球上で何千以上の命を救えるのである。 事態の隠蔽のため何千億も損を膨らました責任者の罪が、何千人分の殺人に相当するとは言わないが、業務上過失致死(故意ではなく一人死なせてしまった)の責任者より軽いのはちょっと経済犯罪に甘過ぎるのではないか。

ここで責任者というのは何も役員には限らない。 不良債権問題の場合、単にバブルに踊ってしまった判断ミスと、損失承知の背任行為の区別が付きにくいことはあるだろうが、一般行員の行為でも悪質な場合はもっとどんどん告発すべきである。(昨今の経営陣には問題を先送りにして多くの犯罪を時効にしてしまった責任もあるのである。) それなくして、一律の給与カットではまともな行員が浮かばれない。  しかしながら、兆円規模の債務超過で、経営陣は一人二人が捕まって後は辞めるだけということではとても責任が取られたとは言えないだろう。  行内で責任を明らかにできない場合は、全員が責任を取らされて(つまり会社清算となって)しかるべきである。 

これまでは株主だけが「自己責任」の号令の下に責任を取って(取らされて?)きたが、ここへ来てそれも怪しくなってきた。 ゼネコンでの債権放棄に際して、また銀行の公的資金投入に際して、旧株主の責任(つまり減資)があいまいなままである。 ゼネコンや不動産業など、何十年分(以上)の利益に匹敵する額の債務を免除してもらうからには、債権放棄をする側に大半のステークが与えられるべきである。 金融機関の持ち株制限によりそれが無理な場合は、市場での売却を前提に債権の株式への転換を認めるように法改正すればよいのではないか。 それで株価が下がるのは仕方がないし、それがいやなら株式併合をすれば株価は保てるだろう。

しかし、一般株主の責任をまで問うためには、長年虚偽の財務情報を出してきた経営陣と、それにお墨付きを与えてきた監査法人(公認会計士)の責任をはっきりさせなければならない。 これが遅々として進まないので、株主責任を堂々と問えないのが実情であろう。 かくして日本の総無責任化が進んでゆく。 とはいえ、皮肉なことに誰も責任を取らないということは、皆が責任を取らされるということでもある。 

昨年の今ごろには「責任追求より前向きな行動を」との声が高まったが、今や責任追求なしには前へ進めない状況になりつつある。 日銀がインフレを拒否している現状ではなおさらである。  切腹・カミカゼで欧米人をうならせた日本人の潔さはかくも簡単に消えうせてしまうものなのだろうか。


99/2/22(月)「植草氏のつぶやき

◆先週の日経サテライトに出演していた植草一秀氏は、これまでにない強い口調で情報公開責任追求もない金融機関への公的資金の投入を批判していた。 同じ野村のR・クー氏にくらべ言葉を選び比較的婉曲的な表現をする植草氏をして「異常」とつぶやくほどの何でもありの不良債権処理であるが、彼の言うように国民が選挙で審判を下すのは実際非常に困難である。

まず、自己責任原則に基づくわかりやすい政策を掲げ、反自民、反裁量行政票の受皿を成りえた自由党が自民党とくっついてしまった。 次回の選挙では当然選挙協力はなされるであろうことから、昨今の金融行政への不満票を自由党に投じるというのは有権者に強い抵抗感があるだろう。 両党の党首間合意では、官僚主導の裁量行政からの転換が目指されているようであるが、自民党の大勢がそれに賛同しているようには見えず、結局長銀と日債銀をいけにえにする形で申請行すべてに公的資金が投入されることになった。 その一方銀行によるゼネコンへの債権放棄も相次ぎ、銀行経由のゼネコン・不動産業徳政令の色彩も濃くなっている。

さてそれでは民主党はどうかといえば、そもそも金融関連法案で強硬姿勢を取り小渕内閣を退陣におい込もうとした自由党の乗った梯子をはずす形で自民党と妥協したのは民主党である。 また不明瞭な公的資金の原点である住専問題の際に自民党と行動をともにしたのも民主党の前身である旧社会党・さきがけであった。 党内には若手を中心にルールに則った透明な行政をめざす勢力もあるが、現制度によって恩恵を受けている支持層を持つ議員も相当多いであろう。 社会主義インターへの加盟うんぬんの話もあり、市場関係者が一票を投じるのはなかなか難しい

その他、共産党は共産党であるし、公明はあの商品券(地域振興券)の実現でもはや反自民とは見做せないし、福祉振興以外に政策らしい政策が見られない。 有権者は情報公開を前提とした自己責任原則や、ルールに沿った経済運営などを実現したくとも投じる政党がない。 

一方選挙があてにならないのなら、市場が制裁を加えるという手もあるのだが、PKOおよび空売り規制や、国債買い入れは渋るのにCPを買いまくり企業の資金繰りを助ける日銀、何年も続く当局の口先介入に加え、土地の含み益の自己資本への参入や、有価証券の低価法から原価法への逆コースなど、あの手この手を使った株価維持が図られている。 持ち合い株の企業年金へのはめ込みや、公的資金による買い上げも視野に入ってきている。 すべきこと、すべきではないことがおおよそ分かっていながら、それが様々な理由によりほとんど逆になってゆくさまは現状を正しく把握している人間にとって悪夢のようなものである。そんな体験が続くことによって生じる無感情(アパシー)を植草氏に感じるのは私だけであろうか。


99/2/07(日)「政治リスク

◆前回の投稿から1週間あまりのうちに日銀の国債引受けは政治・経済の一大テーマとなってしまった。 別にこのコラムが世間の動向に影響を与えるわけはないので、誰もが考える事は同じだったということなのだろう。 事態がそれほど深刻であるという認識が広まったのは結構なことであるが、同時にそれが市場金利の急上昇に結び付いてしまったのは何とも皮肉なことである。  本来なら将来発行されることが確実な大量の日本国債を市場へ出さず、日銀が引受けるとなれば需給関係から円安・債券高となるはずである。 ところが市場は宮沢蔵相の度重なる発言のせいもあろうが逆の反応を示した。 これは前回も触れた「政治リスク」を市場がかなり大きいと見ているあらわれであろう。

この見方は、憲法やそれが定める権利の助けなくしては堂々と責任感をもって行動できない(と考える)多数の日本国民の状態をが端的に現わすものである。 別に憲法九条などなくとも国民に分別が備わっていれば侵略戦争など起こしはしないし、人権がどうのといわなくとも言われなき差別や偏見でもって他人を苦しめるようなこともしない。 国民主権であるのだから、どこかの官僚やある政治家に不見識な輩がいるというだけで恐れることはないのである。  それを「恐るるべし」というのであれば、逆にいくら憲法で戦争を放棄していても、首相と防衛庁長官と自衛隊幹部に確信犯が羊の皮をかぶって座っておればいざという時どうなるかわかったものではないだろう。 憲法で禁じているから逆にそういう事態を防ぐセーフガードがおろそかになることだってある。  それとも国民は世論を大事にせよと言いながら、実は自分たちのことを全く信用していないのだろうか。 

国債の日銀引受けがなぜ憲法の話になるのか不思議に思われる方がいらっしゃるかもしれないが、こういうことである。 国債の日銀引受けが持つリスクとは、安易に資金調達ができるために政治家が放漫財政に走り、結果として借金の山を築き最終的にはハイパーインフレを招くことである。  確かに自民党を見ていると金融・建設・不動産業界のためにはたとえ百兆円であろうと金をつぎ込むような気がしてくる。 しかし忘れてはならないのは、そのような政治家も全て選挙を通して選ばれてくるのである。 また銀行やゼネコンに大金を投じることに不快感をあらわにする国民も、大部分は景気対策は望んでいるのである。 中にはハードランディングで失業者が街にあふれようとも、自分がまた畑を耕すことになろうとも、日本は過去を清算するべきだと考える人もいようが明らかに少数派である。 多くは失業が一部の「できない人」に限らず、誰にでも振りかかる可能性が出てくると、できるだけ各人の現状維持ができるような景気対策を求めているようである。   

政治リスクは直接的には思慮の足りない政治家が野放図な行動をおこす危険性であるが、結局は上記のように国民の大多数が目先の自分にとって都合の良い政策を後先を十分思慮することなく要求し、政治家がそれに従うリスクである。  所得減税、消費税減税、商品券配布、中小企業対策、失業給付増額、各種税控除などの景気対策への要求は多く、実際何十兆円もの公費でそれらが実現されようとしている。 銀行やゼネコンに大金が投じられるのも、突き詰めれば既存の雇用体系を守るためであろう。 結果としてバブルに踊った人間を助けることにもなるが、ならばバブル戦犯の大半をとっちめるために数百万の雇用が失われても良いかと問われれば尻込みする人の方が多いのではあるまいか。

宮沢氏や多くの大蔵官僚などの「エリート」はこのような国民性を考慮しているからこそ、これほど国債の日銀引受けを忌避しているのであろう。 宮沢氏にいたっては「本能的に」避けたいとのことである。 われわれもまあよくも馬鹿にされたものであるが、全く言われなき事ではないので馬鹿にされること自体はまだ仕方がない。 問題なのは彼らが国民を馬鹿にしていながら、その要求のかなりの部分を飲んで莫大な財政支出を続けていることである。 これは例えれば(ちょっと飛躍するが)会社の上層部を馬鹿にしながら、監視のないまま損を積み上げて破綻した元大和銀の井口氏やベアリングのリーソン氏のようなものである。 日本国民も前述の会社上層部も事態の認識が甘いには違いないのであろうが、問題は井口氏やリーソン氏自身も自ら掘りつつある墓穴からどうやって抜け出すかのすべを知らなかったように、宮沢氏も大蔵省もこの財政と日本経済の同時危機を乗りきるすべを知らないことである。

つまり政策当局は国民の浅はかさを認識して国債の日銀引受けに抵抗しているものの、それに代わる確たる手段など持ち合わせてはいまい。 だからこそ呪文のように、金利上昇は一時的であるとかこれまでが低金利過ぎたとか唱えているのである。 これは「貿易黒字は今がピーク」と何年も根拠なく言い続けて貿易摩擦を再燃させようとしているのとそっくりである。 また当局の現状認識も甘いと言わざるをえない。 昨年債券はあれだけの大天井を形成したのであるから、仮に今の金利水準が高くない(日本の財政状況からすればまだ低いのであろうが)といっても高値でしこたま国債を仕込んだ金融機関は決算を前に大わらわで、その損切りの売りが火に油をそそいでいる。 また日銀も金利低下局面で国債を買い入れておいて結果として相場を煽る形となったのに、こんどは下落局面で頑な態度をとることにより相場下落に拍車をかけている。 とても国民を馬鹿にできるエリートの仕業とは言えない。

意図せぬ金利上昇が、これまた日本の財政・景気状況に相反した円高までも招いたことにより、ただでさえ疑わしかった従来型財政出動による景気回復には暗雲がたれ込めてきた。もし景気回復が頓挫すれば緊縮財政はいつまでもとれず、結果として需給と信用悪化によりさらなる金利上昇を招くため早晩なんらかの対策が必要となるだろう。 何らかの対策といっても落ちるナイフと化してしまった日本国債を買わせる手は多くないだろう。 購入者への相当な優遇措置が必要となろうが、それは逆に見れば更なる財政コストである。 結局ストレートに日銀が買うのが最も弊害が少ないということになるのではないか。

さて、そこで政治リスクをどうするかということになるのだが、これはもういくら愚かに見えようが国民を信頼して洗いざらいぶちまけて説明することが一番だと思えるのだがいかがだろうか。 委細を尽くして説明した上で、国民がどれほど愚かな判断を下し、結果としてハイパーインフレとなってしまったのなら、それは自己責任ということで仕方無いではないか。 全てがオープンに行なわれれば、巻き込まれるまっとうな人々にも手の打ちようがある。 全てを当局が抱え込んだ上で、井口氏やリーソン氏のように最後に放り出せばそれこそタイタニックとなる。 その際にもっとも障害となるのは従来型の土建政治家ではない。 政治や官僚や企業が変わりさえすれば国民の負担なく状況は好転するというような「ただの願望」をもっともらしく甘い言葉でささやく政治家や評論家そしてマスコミである。 

甘い言葉には十二分に気を付けるのが投資家たるものであるが、自己責任を問われたことのない人々が大半を占める日本においてはまだまだ甘言はあなどれない。 今度ばかりはだまされて「どうしてくれる」と言っても、補償する金などもとより国にないということくらい周知徹底してもらいたいものである。


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