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99/7/29(木)「何を今更、されど今」 長銀につづいて、日債銀でも破綻回避のためのさまざまな粉飾が明るみに出てきた。 マスコミはこのことをさも新しげに報道し、日債銀首脳のみならず大蔵の責任を問えと元気が良い。 たしかに逮捕された元頭取および会長は大蔵省および日銀出身で、ともに「大蔵と相談の上で事を進めたのにどうして」と粉飾の容疑を否認しているようであり、大蔵の裁量行政はまたも多大な国民負担を招いたことは事実であろう。 しかしながら、大蔵が事実を隠蔽し、そのしわ寄せが金融機関株主にとどまらず一般国民に及ぶであろうことはとうの昔に明らかなことであった。 覆水盆に帰らずで、何をいまさらとの感を禁じえない。 元々拓銀や日債銀については、金融ビジネス(東洋経済新報社)が5年ほど前からかなり具体的に資産の劣化を報道し、その後週刊誌等の報道もあり生きるも死ぬも大蔵のさじ加減一つということは数年前にはほぼ周知の事実であった。 テレビでもサンデープロジェクトなどで直接言及こそされなかったものの、日債銀は「某信託銀行」とか「N」とか言われ破綻は時間の問題と言わんばかりに酷評された。 それゆえ、拓銀はともかく、次の大手行の破綻が日債銀ではなく、長銀だったことに驚きを感じたのは筆者だけではなかったであろう。 すでに実質破綻状態であったにも関わらず、大蔵省は日債銀の資本増強を図り大手金融機関に奉加張を回し無理やり資金を調達するとともに、佐々波委員会もこれに歩調を合わせて経営を健全であるとし、公的資金の投入を是認した。 これは明らかな無駄金であり、こんなものを投入するということは、前後して土地の自己資本算入や有価証券評価の低価法から原価法への切り替えを認めていたことと合わせると、大蔵はどんないかさまのような方法を使おうとも大手行を破綻させないつもりなのだと多少なりとも見識がある人なら思ったに違いない。 しかるに、市場で長銀株が売り崩しに合うと、さじはあっさりと投げられた。 日債銀に至っては株価が安定している中で突然の破綻宣告となった。 春と秋で当局の姿勢は180度変化した。 もとより、長銀も日債銀も破綻していたのであるから、それを破綻処理すること自体は何も責められるべきことではないが、それなら当然春先の愚行の責任は取らねばなるまい。 更に言えば、破綻した両行に限らず、どの銀行でも兆円単位の要処理の不良債権を抱えていることが明白でありながら、少しずつ小出しに処理する決算を認めてきたということ自体、大蔵は粉飾を是認してきたに等しい。 よく体力がないので不良債権を償却できないとか言われるが、体力があろうがなかろうが、償却せねばならないものはせねばならないのであり、業務純益や増資と相談して償却額を決めるなどと言えはな為自体粉飾である。 さて、そこで何のために大蔵は粉飾に手を貸して(先導して?)来たかということになるが、断固として護送船団方式を維持し従来の金融システムを守るためにしては、長銀・日債銀を余りにあっさりと見殺しにしている。 市場に追い込まれたからだ、金融安定化法ができたからだとの見方もあるが、そもそも市場はなぜそこまで長銀を売りこめたのか(大蔵は長銀を見放すとの見こみがあったからではないか?)、また長銀破綻は安定化法ができる前の話である。 更に不良債権問題が市場で材料とされ銀行株が売りこまれたのは昨年にはじまったことではなく、早く92年4月には相当な水準まで大手行の株は売りこまれている。 その後株価は回復するが95年には再度売り込まれている。 その気があれば遅くともこの時点までに大胆な金融再生化に着手がされているはずである。 ではなぜ、昨年長銀が破綻するまで事態は放置されたのか。 穿った見方といわれるかもしれないが、これはバブル戦犯の時効と関係があるように思えてならない。 不良債権の相当額はバブル期である80年代後半の野放図な貸出しにより生じたが、もし92年にメスが入ればバブル期の経営陣は軒並み御用となってしまう。 さらにこの時期の不良債権には政治家絡みのものも少なくないと言われることから、政界への波及も避けられなかったことであろう。 仮に95年に着手したとしても、バブル後期の戦犯が引っかかってしまう。 かくして処理はバブル期の行為の数々が概ね時効となるまで先送りされ、結果として歴代の経営陣の意向を受け破綻を先延ばししてきた(大蔵の態度を見て破綻が回避できると思ったのかもしれないが)最後の方の経営陣だけが御用となることとなったという見方である。 あくまでこれは仮説であるが、時効の壁が立ちはだかる以上、前々期までに償却済となった不良債権には捜査のメスが入ることはないだろうし、捜査が行われなければ真の破綻理由はわからないままである。 事後に法を改正して過去に遡及するということは基本的になされるべきではないと筆者は考えるが、時効のために国の重要政策まで歪められたとなれば特例で時効を無効とすることも必要だと思われる。 現実に金融機関に対しては前述の土地や有価証券の評価に絡んで事後的にルールが弱小機関に有利なように変更され破綻回避につながっているのだから。(旧ルールでは破綻している金融機関を、ルールを変更することにより破綻していないこととした。) とはいえ、時効を無効とするなどそう簡単にできることではない。 世論の圧倒的な支持が必要となろうが、小渕内閣支持率を見れば世間は昨秋の恐慌前夜に震え上がり、景気対策の飴玉を目前にぶら下げられてすっかり大人しくなり、過去を振り返ってみずからどうこうしようという覇気などなくなっている。 こんなときこそマスコミの出番だと思うのだが、日米ガイドラインや日の丸・君が代法案には熱心であるものの、金融問題に関しては検察の後追いに終始しこれといったスクープは最近お目にかかれない。 ネットであれほど盛り上がった東芝問題でもマスコミは独自取材もほとんど行ったふしがない。 不良債権問題が国家・国民に与えた影響はロッキード事件やリクルート事件の比ではない。 娯楽としてはともかく、報道機関としてはその存在意義すら問われている既存メディアであるが、この問題を闇に葬るようであれば21世紀は来ないことになりかねない。 マスコミにもうひと頑張りを望むのは斜陽大企業に復活を期待するようなものなのだろうか。 99/7/14(水)「相場が日本を変えられるか」 株式市場を見ればわかるように、景気回復ムードは日一日と濃くなってきている。 以前このコラムでも書いたように、人一倍ムードに流されるのが日本国民であり、そして何よりムードメーカーたりうるのが株式市場であってみれば、つい昨秋までは絶望にみえた景気回復がこの夏にも現実のものとなる可能性すら出てきている。 まさにソロスのいうとことの自己強化プロセスがこれまでと逆に回り始めようとしている。 もし、この回復が必要な淘汰および強力かつ一貫した政策に支えられているのだとしたら、21世紀を目前にしてようやく日本に10年ぶりの春がこようとしていると言えるのであろうが、現実はまったく逆である。 昨秋から政府および日銀がしたことといえば、基本的には金をばら撒いただけである。 日債銀や長銀の天文学的な債務超過額を見ればいかに公的資金の投入基準がいい加減であるかがわかる。 地銀にしてもなみはや銀行をみれば公的資金は確たる見通しがあり投入されたのではなく、その場凌ぎであったことは明白である。 さらに建設・不動産業への巨額の債権放棄を見れば、公的資金の投入が前から囁かれていた「徳政令」色の強いものであることも明らかである。 政府の中小企業向け信用保証は、予想通り当座の企業倒産を急減させたが、同時に予想通り政府保有の不良債権の山を築きつつあるようである。 これが必要な淘汰を遅らせ、ひいては産業構造の転換を遅らせることはやがて明らかになるであろう。 自民党は史上最大規模の合法的買収を成し遂げたのである。 日銀は資金を潤沢に供給し続け、超低金利を維持していながら、それをいつまで続けるか全くはっきりしない。 山一への特融が劣後債権に遅れをとっても忸怩たるものがないのに、日本政府の債務を引き受けることにはひどく消極的である。 投資優遇税制も検討はされたが、株式市場の回復につれて予想通り大したものは国会に出てきそうにない。 一方法人の外形標準課税の導入は粛々と進められ、社会保障負担(=給付)の引き下げ努力などほとんど放棄され、環境対策や企業年金の積み立て不足などに四苦八苦している法人部門の税・社会保障負担減は最低限に留まりそうである。 一時相次ぐ不祥事で息も絶え絶えであった大蔵省・厚生省もいつのまにか勢力を盛り返し、公的部門の拡大に躍起である。 年金や介護保険など民間にとって魅力的な分野を渡そうとしない。 そして、一番心もとないのが政府の雇用政策である。 企業のリストラは待ったなしで、これまでの企業内失業者のみならず、経営の情報化・効率化によって新たに余剰人員が発生してくることは明白である。 新規産業を育成せずして雇用の維持を図ろうとしても構造改革を遅らせてしまう。 銀行や建設業にこんなに多くの人が必要でないことははっきりしていて、それを促進する一番簡単な方法は実質破綻企業をそのまま破綻処理することであるが、現実はまったく反対の方向に進んでいる。 人間土壇場に追い詰められて初めて腰を上げるものも少なくないことを考えると、スキル習得への第一歩は失業だとも言えなくもない。 世界一の貯蓄水準にある国民に対して、失業給付の増額が適切な処置とは思えない。 少子化対策の遅れ(というか無策)も長期的に非常に憂慮されることである。 経済規模・活力、年金、健保、国家財政どれをとっても人口構成が大きな影響力を持つ。 このまま少子化が進めばどんな賢人が舵をとっても早晩制度は破綻をきたすであろう。 何らかの手段を使って少子化に歯止めをかけるか、社会保障給付を一刻も早く引き下げるかが必要であるのに、どちらも遅々として進まない。 女性の社会進出それ自体を悪であるという気はさらさらないが、今それを積極的に進めようとするのは最悪のタイミングである。 さらに扶養控除を据え置いたまま、配偶者控除を下げる(なくす)のは致命的である。 ゼネコン・銀行問題ではべき論をほとんど無視してとにかく目先の危機回避を図っておきながら、社会問題ではべき論に固執しその経済的影響にほとんど配慮を払わないのは何とも不思議である。 と問題だらけの経済運営であるが、いったん公的資金投入というルビコン河を渡った人々にはもう数兆円などは金のうちに入らず、ちょっと雲行きが怪しくなれば選挙も近いことだし、ここぞとばかり整備新幹線などの従来型(土建型)公共投資をやるだろう。 地方の一票はいつまでたっても都会より重く、地方が公共事業に依存している以上これはなかなか変えられない。 年金問題にせよ、老人健康保険問題にせよ、無制限普通選挙の弊害が高齢化によって顕著になってきているが、民主主義のタブーはそう簡単には破れない。 以上のように山積する問題から目を背けたくてか市場はひたすら夢を追いかけて、とにかく成長が見込める新進企業の株を天文学的水準まで買い上げている。 過剰流動性のあだ花とも言えるが、あまりに夢がなく暗い現実からの逃避という見方もできるのではないか。とはいえ、相場にせよ景気対策にせよ、いかなる動機であろうといったん動き出してしまえば「慣性の法則」が働くことは否めない。 心理状況好転のモメンタムが、日本社会・経済に岩のように立ちはだかる既得権益を跳ね除けて新しい日本を作って行くことができるか、余り期待できないが興味深く見てゆきたい。 もちろん投資家としては、根拠の乏しい上げが長く続いた今はまさかの下げへの備えだけは整えておきたい。 昨年秋の時点で店頭平均1600P、東証2部指数2300Pなど夢にも見た人は稀だったのだから。 99/6/27(日)「昨年からの相場をふりかえって」 今月に入り株式相場は一段と上昇したが、いまひとつ迫力にかける一部市場を横目に、2部・店頭市場は空前の大賑わいである。 PKOにより何とか値を保っていた一部に比べただ同然でもさらに投げ売られていた昨夏と余りにも対象的である。 先日の発売日などは本屋に会社四季報が山のように積まれ、投資関連雑誌のコーナーではそれまで見かけることのなかったタイプの人たちまで立ち読みをしていた。 この一年足らずの間に何が起こったのか、自らの体験をまじえて振り返ってみたい。 昨夏から秋にかけての店頭株はまるで底なし沼に沈んでゆくようであった。 バブル崩壊以降の数年間、日経平均株価は店頭平均の11−13倍で推移してきたが15倍を越えたあたりから急速に差が開き、底では20倍に達した。 どん底の景気で確かに企業収益自体も悪化傾向ではあったが、予想収益ベースで一桁のPERがあちこちに出現し、PBR0.2−0.3倍という銘柄も続出し、中には時価総額が流動資産(時価ベース)から全負債を差し引いたものを大きく下回る企業もいくつか出てきた。 500円台のアイコム、八重洲無線、400円台のイーストンエレクトロニクスなどが顕著な例である。 加えて、極端な低金利にもかかわらず、タコ配ではない高配当利回りも続出した。 PEOPLEの8%(結果として16%となった)、ハウスオブローゼの7%を先頭に財務内容もよいのに利回りが3%前後の銘柄がごろごろしていた。 新規公開銘柄は、成長性がかなり高いものでも十数倍までのPERで登場した。 富士テクニカやエクセルなどは5倍を切るPERに放置された。 液晶モニターへの需要が高まることが明白でありながら、ジオマテックはかつての一万円を越える株価からわずか550円(PBR0.2倍)にまで売り込まれた。 かつてPER100倍を越える水準まで買われた光通信も金利が下がる中PER10倍台まで売られた。 流動性と経営基盤で劣る2部・店頭株は指標面から一部より割安で当然との声が市場にあふれた。 インターネットの世界でも、店頭株を買うのは落ちてくるナイフを掴むがごとくとの指摘がさかんになされ、すでにバリュエーションから十分割安と思われる水準の株にも手を出そうという人間は稀であった。 個別企業で財務が磐石であったり業績が下向きではなくともである。 デフレの様相を深める日本国内要因に加え、世界恐慌への恐怖が市場に蔓延した昨年10月に、店頭平均は600Pそこそこという空前の安値にまで落ちた。 そこで登場したのは、基本的に見境なく大手金融機関に投入された公的資金と、これまた見境なく資金繰りに苦しむ(と自己申告する)中小企業に付された信用保証の合計30兆円である。 これによりそれまで毎日のように聞かされていた「貸し渋り」という言葉はたちまちどこかへ消え去り、過剰流動性がじわじわと店頭市場を皮切りに流入しはじめた。 当初の10月、11月は買いもまだおっかなびっくりであり、物色対象も一部の優良株か明らかに売られ過ぎた株に限られていた。 まだ書店にはチャートブックは十分残っていた。 同時期に日経平均もそれなりの反発をしたので、一部指数と店頭指数の倍率はあまり変わらず20倍をちょっと切る程度で推移した。 これが12月くらいから様相が徐々に変わりはじめ、年明けには足踏みをする日経平均と続進する店頭平均のコントラストがはっきりしてきた。 新規公開株の初値が公募価格から大きく乖離しはじめた。 この傾向が顕著になってきたのは2月以降である。 この頃から店頭株にはストップ高が目立つようになってきた。 それまでは3割も株価が上がれば「よく上がったな」という感じがあったのだが、2月くらいからはほんの数日で株価が3割ほど上がることがそれほど珍しくなくなった。 それでもまだ春先の段階では前述の光通信、ゴールドクレスト、ヤフー、マスターネットなど一部の高成長株と、これまた前述のジオマテック、エクセル、アールビバンなど売られ過ぎた実力株および一部材料株くらいが急激な動きをしていたようだ。 これが写真週刊誌まで店頭市場の堅調を取り上げ出した頃から様子が変わってきた。 チャートブック売り切れの話もこの頃から聞くようになった。 店頭平均が1000Pを越えたあたりからの急進は、バブル崩壊後の相場しか知らないものにとって凄まじいものであった。 悪材料は無視し、好材料には過度に反応するようになり、それなりにインパクトがある材料が出た株が数日間ストップ高を続けるという事態が頻繁に見られるようになった。 出来高もそれまで1000万株も出来れば大したものだったのが2、3000万株という日も珍しくなくなった。 一月で50%(年率換算ではない)を越えるリターンを出す投資家(投機家?)を見かけるようになったきたものこの頃である。日経平均株価の対店頭平均倍率は14倍台まで低下してきた。 ただ、まだこの時点ではいわゆるボロ株はおおむね蚊帳の外であったし、一部高成長株をのぞいて10倍台のPERかつ1倍台のPBRというリーズナブルな水準の株も多かった。 さて、現在である。 店頭平均はついに日経平均の1/13という以前の水準に到達した。と同時に、以前はヤフーくらいだった天文学的な株価が光通信、ゴールドクレスト、ドンキホーテ、フューチャーシステムコンサルティングなどあちこちに見られるようになった。フューチャーシステムといえば、初値が公募価格の5倍という金字塔(?)を打ち建ててしまった。(これは公募価格の設定にも問題がありそうだが) 宝林のような低位株に訳もわからず4ー5日も連続ストップ高をするものが相次いだ。 足下の(というより会社および四季報予想の)収益が良ければ財務が脆弱でもほとんど無視する形で買われている。 PERが20倍ならPBRが1倍であろうが4倍であろうが、またその資産内容がどうであろうがお構いなしである。 店頭につづいて大証2部が狂ったように上げた。ネット上の掲示板も空前の賑わいで、「〜買ったのですがどうでしょうか?」という初心者的な質問と、特に尋ねられていないのに「〜を買うべし」(既に高いものが多い) という教示的な書き込み、「〜で儲かった」という戦果報告が目立ち、冷静な経済/市場分析、会社分析は姿を消しつつある。(埋もれて目立たないだけかもしれないが) 以前あれほど神経質になっていた米国株についても、米国株の調整は日本への資金流入につながるという具合に見方が180度変わってきている。 日本の持続的成長再開にめどが立ったわけではないのに、それは既定の路線として「欧米の時代から日本・アジアの時代に」が抵抗なく受け入れられるようになってきている。 昨年秋からまだ一年足らずであるにもかかわらず、2部・店頭市場では3倍株はゴロゴロ、5倍株も珍しくなく、10倍株も片手に余る。 最近ではまさにホットマネーがそれこそ「トイチ」のリターンを求めて市場を循環している。 銘柄によってはすでに3年先、5年先の業績まで織りこんで買われてしまっている。 いかに流動性が豊富にあったとしても、こんなペースで上げ続けることは早晩無理になるであろう。 また相場が織りこみつつある景気回復が本格化すれば、この過剰流動性自体が解消することにもつながる。現状が「熱狂の中に消え」つつある状態である可能性を投資家は頭の片隅に置いておくべきではないだろうか。 99/6/19(土)「株主として」 決算発表が終わり、今年も株主総会の季節がやってきた。季節といってもほとんどが6月の最後の数日に、特に29日にかたまっているので、株主総会の日と言ってもよいくらいである。おかげで物理的に総会に出席できる会社の数は極めて限られるが、この日は一般株主が経営陣を間近に見て、彼らと話せる数少ない機会であるので是非活用したいものである。 まず、会場の設定、総会の進め方で経営側の株主に対する姿勢を汲みとることができるだろう。未だに社員株主を最前列に並ばせて「異議なし」「議事進行」で一般株主の筋の通った質問をさえぎらせたり、郵送されたものと同じ営業報告書を棒読みするだけで自分の言葉で何も話そうとしないような経営陣は、会社は本当は自分たちのものであると考えていると見做してよいだろう。とくに、業績が芳しくない場合その理由および今後の対策をどのように説明してゆくかは今後の投資方針を左右しうることである。 業績悪化を「デフレ」「消費の落ち込み」「マクロ経済」などの一般的な言葉を使いながら漠然とただ受動的に、自分たちを被害者さながらに語るのみでは明らかに説明不足である。どの分野のどの程度の落ち込みは避けられないものであったのか。改善の余地はどこにあり、現実的にどの程度の改善が見込めるのか。そのために具体的にどういう対策をとってゆくのかなどを大まかな数字を混じえながら自分の言葉で話せる経営者かどうか。また業績とは別にどうやって株主価値を高めようとしているのか。企業年金や連結企業など、企業価値を大きく左右するが営業報告書では触れられることが少ない事項を説明するか。実際のところ、「聞かれなければ説明しない」企業がほとんどであろう。 そのような消極的な姿勢は困ったものであるが、現実はそうとして受け止めなければならないし、自分たちの利益がかかっているのだから株主の側が積極的に質問をする他ないだろう。質問を熱心または我慢強く聞き、それなりに納得できる答えが返ってくるならば、一応次の決算発表までは株を持ってみる価値はあるだろう。逆に足元の業績も悪いのに大風呂敷きを広げたような話ばかりする経営者や、難解な用語を連発して煙に巻こうとするような経営者であれば、それなりの財務の裏付けがなければ株主であることをやめた方がよいだろう。このコラムの読者の方々には当たり前のことであろうが、株主に対していかに平身低頭であるかが問題なのではなく、真摯に現実を語り、明確な経営方針を示すかどうかが問題なのである。 さて、いかに業績を伸ばしてゆくかは確かに第一優先事項であるが、業績が伸ばせない場合または業績に比して株価が極度に低いような場合は、業績とは別に株式の価値を高めるような方策が望まれる。経営者によっては「株価は市場が決めるもの。業績をあげることのみが我々の役割」と言う人もおられるようだが、株式を上場・公開している(当然公募増資もしている)以上は株価に何の責任も感じていないということでは困る。株式は不動産ではないのだから、いくら長期投資が原則といってもそれなりの換金性を持たせてもらわなければ困る。株価が公募価格はおろか、会社の清算価値をも大きく下回るような状況は、それなりに株主を重視するなら放置しないはずである。それ以前に経済的合理性から言っても自社株買いを積極的に行い1株価値の向上を図るのが筋であろう。 会社によっては業績発表のたびに強気な来期予想を打ち出して株価を上げればよいと思っているようなところもあるようだが、それは裏を返せば投資家などちょっとだましておけばよいと思っているいうことである。強気な業績予想を出しては後に業績下方修正を繰り返すような会社の総会では、どうしてそういう事態を招くのか株主は厳しく追及すべきである。もし責任ある業績予想が困難ならば、一部企業がそうしているように業績予想など出さなければよいのである。 また会社によっては自社株買いを表面上は公正を装いながら、実際は一部特定株主のために行うような例も見られるが、怪しいと思ったら事実関係を追及するべきである。この他、上場・公開企業が親会社および関連会社の都合から、その会社自体の経済的利益に適わないような投資、取引をすることもしばしば見られる。親会社(および経営者)が2/3以上の株を持っているならともかく、ただ筆頭株主であるというだけで一般株主の利益を踏みにじるような行為に及ぶなら、株主は断固とした態度をとるべきである。 問題のある経営陣の排除には、株主間の連帯が不可欠である。以前は経営側べったりであった機関投資家も、最近では委託者利益を守る立場から、常軌を逸する経営にはノーを言う姿勢に変わってきている。あなたが本当に筋の通った提案をしようとしているのなら、一度経営者周辺以外の大株主に具体的な提案をしてみるのも面白い。経営陣としても、何とか過半数は押さえていても、何割もの株主が公然と経営に不満を表明して、その改善なくば経営陣の交代を要求する姿勢を示せば、多少なりとも反応は示すだろう。 この辺までくると一般株主にはちょっと荷が重く感じられるが、株主の権利があるのと同様株主には責任もあるのである。自分たちの利益の極大化をはかることは大切だが、株式を保有する企業が反社会的な行動を取れば、それを止めさせるのも株主の責任である。これを逆手にとって、反対運動のために株主になり株主総会で暴れるというのはどうかと思うし、また経営者が下手に出るからといって彼らをどやし付けて溜飲を下すようなやり方も問題ではあるが、一般株主はもっと株主総会で暴れてもいいのではないか。「いきなりそこまでは、、」というあなたは、第一歩として今年は総会へ行き、何か一つ経営に関する質問をしてみてはいかがだろうか。大体の総会では時間はたっぷりあるのだから、納得するまで席につく必要はない。ゆっくり丁寧にわかりやすく説明してもらおうではないか。 99/6/6(日)「山一証券自己破産に際して」 突然自主廃業を申請し、あうんの呼吸で時の長野証券局長に受理されたものの、株主総会でまともな説明ができずに会社清算もできずずるずる来た山一証券がついに自己破産申立てをするそうである。当初は会社、大蔵、日銀ともが「債務超過ではない」と呪文のように唱えていたのが今となっては何とも皮肉である。当事者たちは「金融システムの動揺を防ぐための方便」と言うのかもしれないが、誰も無責任発言の責任を取ろうとはしなかった。 しかし、ここへきて当事者は責任を直面せざるをえなくなった。自己破産によって日銀特融の回収が不可避の問題として迫って来たからである。現在の山一証券を見る限り借入れた特融に見合う資産は到底なく、返済は不可能である。これに対し、日銀は証券業協会(証券版預金保険機構)に負担を求めているが、証券界はない袖は振れないし、そもそも現在の制度は山一破綻後にできたものであるので要求はお門違いだとの姿勢である。 この両者の言い分は平行線をたどり裁判または政治決着となるまでかなりの時間を要するのだろうが、そもそも山一証券には公的資金に劣後する(と思われる)債務がたくさんあったはずである。一般売掛債権や労働債権、およびに各種取引証拠金などはさておくとしても、社債そして劣後債が大量に発行されていたはずである。このうち社債および転換社債は廃業宣言後すみやかに繰り上げ償還となり、劣後債(ロ−ン)も保有者が返還を求めて裁判をおこすと部分返済であっさり合意してしまった。 社債については一応、期限の利益が失われたとの理由が、また劣後債(ロ−ン)については借入時点で山一証券がみづからの財務状況を正直に開示しなかったとの理由があるので、まったく根拠なく「早いもの勝ち」で債権が取付けられたというわけではない。しかしながら、実際株式が一円で取引きされている状態でその会社が債務超過でないと見做して債権を償還することは強引(無謀)であるし、公的資金より劣後債(ロ−ン)に優先権があるなどということは言葉からもわかるように明らかに矛盾している。 本来ならば、まず公的資金(日銀特融)が返済され、そののちに社債および転換社債が、そして資金が残れば劣後債権が返還されるという手順を踏むべきなのであろうが、色々な理由をつけて民間側がうまく資金を取付けてしまい、結局誰も自分の切迫した問題として受け取るものがいない日銀特融がのろのろしているうちにつかまってしまったということなのだろう。銀行経由のゼネコンへの公的資金投入で皆感覚が麻痺しているかもしれないが、ここにもまた責任とモラルの欠如から知らぬうちに国民に負担が回されている構図がある。 この他にも事実上無審査でも中小企業への信用保証など焦げ付きが約束されている公的資金は数兆円に上るだろう。現在の日本の財政状況および人口構成で、インフレの助けを借りずに負担を処理してゆこうとすることは、神風が吹くのを待っているようなものである。山一証券をめぐる顛末を見るにつけて日銀がやはり他力本願の公家集団に見えてしまうのは私だけであろうか。
99/6/6(日)「物価は上がらなければよいのか」 上でも触れたように今だに日銀は物価の番人を自認し、このデフレ下での世論調査でも政策として望むことの上位に物価対策が上げられている。バブル崩壊最中には「価格破壊」がむしろ良いニュアンスで取り上げられていた。なるほど一度は通らねばならなかった道かも知れぬが、今この状態にあってまだ物価維持(いわんや下落)をはかることは本当によいことであろうか。 現在の日本にとって最大の問題はデフレ(ギャップ)と公共・民間ともの財政悪化である。デフレにはインフレをぶつければそれでよいなどという乱暴な議論をする気はないが、物価下落がデフレスパイラルおよび債務の実質的増加を招き状況を悪化させ、一方物価上昇は少なくとも債務の実質的軽減につながるということは確かであろう。そこで比較は物価維持と物価上昇との間で行なわれることになる。 物価が維持された場合、経済成長は基本的に生産性の向上に依存することになる。生産性の伸びは現在の日本では年1%程度であろうから、年2−3%の経済成長は不良債権問題の足かせがなくとも不可能に近いだろう。ましてや近年のこのマイナス成長も巨額の財政赤字をたれ流しつつ財政出動を続けてやっと得られたものである。年2−3%の成長を物価上昇なしで達成しようとするならば財政出動は止められないだろう。規制緩和で生産性が一気に上がるという楽観的な意見も聞くが、それは規制緩和のもつデフレ要因を軽視しずぎている。 ということは、物価が不動であれば日本経済はここしばらくはよくゼロ成長で、株価や地価の動向次第ではマイナス成長もありえることだろう。もし日本に国債はおろか保険や年金などというシステムがなければそれでもよいのかもしれないが、それらは国民生活に深く組み込まれている。年金や保険の財政状態は株式や債券および貸付金のパフオーマンス、そして年金ではさらに人口動態に大きく左右される。人口動態はよほど大胆な政策が打ち出されても当分は少子高齢化は避けられないだろう。一方年金・保険の保有株式・債券・貸付金のパフォーマンスは基本的に企業収益(公債なら財政状態)次第である。物価が不動でもリストラで個別に収益を伸ばす企業は出てくるだろうが、社会全体でみればゼロ成長下で企業セクターが利益を大幅に伸ばし、財務を改善することは非常に困難である。 一方物価の上昇を容認するとなれば、財政にゆとりを与えられるとともに、民間の債務も理不尽な債務免除などなしに徐々に軽減できる。年金も給付を物価とフルに連動させなければその分ゆとりが生まれる。また物価上昇を誰もが認識すればそれは消費刺激効果を持つ。マイルドなインフレは企業収益にもプラスに働く可能性が高いので、株式のパフォーマンスも上向くであろう。過剰流動性状態が続くために企業の資金繰りも比較的楽な状態がつづくであろう。問題は果たしてこのデフレ状況下で物価上昇は実現できるのか、またもし実現できたとして物価そして金利はコントロールできるのかということで、従来型政策の提案者は皆この点に固執し物価上昇に否定的な姿勢をとっている。 経済学は純粋科学ではないので、実際答えは蓋を空けてみるまでわからない。しかし、まず「物価上昇など起こせっこない」と「ハイパーインフレになったらどうする」というのは明らかに正反対の指摘である。前者は起こらないなら何もしないのと同じで駄目でもともとであるし、後者は金利上昇余地が無限にある状態では杞憂に近いのではないだろうか。仮に反対論者が言うように物価上昇誘導がリスクを伴うものだとしても、他の選択肢にはそもそもリターンがほとんどないのである。 銀行・ノンバンクにつづいて、今後生保、農協、そして財政投融資の不良債権(資産)問題を解決するには、景気回復または/および大量の公的資金の投入が必要となるだろう。しかしながら、物価維持路線ではよほどの投資優遇税制でも取り入れて株式市場のてこ入れでも図らない限りそのいずれも実現できないだろう。「物価が一定なら国民の暮らしは安定し、しいては経済も安定する」というのは平時では正しいのかもしれないが、現状では購買力を維持させられるだけの給料は企業はもうこれ以上払ってゆけないし、失業増・財政破綻では経済も安定どころではない。物価維持を至上命題とするのではなく、物価を為替、金利と同様ゆるやかにコントロールするという柔軟性が必要なのではないだろうか。 |
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