新世紀への視点
【99/08〜00/02】

個人投資家からの視点で、日本を鋭く切る!。全国民必見のコラム!

このページの担当:
藤澤暁夫
MLや掲示板でもお馴染みの個人投資家藤澤さん。

株式投資は自己責任です。ご参考の結果には一切責任を持ちません。

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00/02/15(水)「日銀はわかっているのか」

速見日銀総裁はインフレターゲットについて「物価上昇のためにあらゆる手段をとる インフレ調整論は政策に採用できないが、物価の安定に向け強い決意を示す意味でイ ンフレ目標論は検討に値する」と語ったようである。  これを聞いて解釈は二つ。   これまで調整インフレにたいし侮蔑的ともいえる態度をとってきた手前、仮にそ れを導入するにしても面子がありこのようないびつな表現しかできないというのが一 つ。  もう一つは引用どおりに物価安定(固定?)こそ日銀の使命考えているとい う解釈である。

もし前の解釈が正しいのならば、日銀の頑迷さに辟易とはするものの別段どうという ことはない発言である。 要はデフレに対しては一層の量的緩和で対処するというこ とになるからである。  ところが後者を意図しているのだとしたら事態はかなり深 刻である。 日銀はこのごに及んでもデフレよりインフレを警戒し、経済安定より物 価安定を上位に考えているかもしれないからである。

この懸念はつぎに続く発言から更に深まる。 いわく、「物価安定を特定の数値で示 すのは技術的に難しいし、物価は技術革新など外部環境変化の影響も受けるゆえ、こ うした問題点を考えないで物価を高めに設定すると大義名分は物価安定でも中身は調 整インフレに等しくなるので、インフレ目標を実際政策に採用することには課題が多 い」とのことである。 

「物価は技術革新など外部環境の変化の影響も受ける」ということは、技術革新によ るコスト削減(物価引下げ)要素について述べたものだと思われる。  同じ価格で 売られている商品の機能・品質はどんどん高まり、高性能機器を利用することにより 企業はコストを削減しているのが現状である。 これはバブル崩壊以外に情報通信を 中心にした技術の発達もまたデフレ圧力になるという認識であろう。  この認識は 概ね正しいと思う。  ついでに言えば、日銀が国債引受けを拒む以上は公共投資は 抑制され、それはおそらく個々の事業の単価を下落させることになるだろう。

わからないのはその次の「こうした問題点を考えないで物価を高めに設定する と、、、調整インフレに等しくなる」のくだりで、これは明らかにネガティヴなニュ アンスで発せられている。  筆者には何がどう「問題」であるか理解が及ばない が、要するにいくら下方圧力がかかろうとも物価を上方にいじくることは何事も不可 と言う主張にしか思えない。 

そもそも物価安定を特定の数値で示すこと以前に、今の物価を正しく把握できている のか極めて疑わしいのが現状である。  本当は物価下落中なのかもしれないのに (筆者の体感ではそうである)、現行の物価指数が変わらないから物価安定だという 考え方はいかがなものか。  さらに物価安定を客観的に示すというのは定義の問題 であるのだから、もし日銀がその状態を定義すらできないのならばなぜそれ(物価安 定)が至上命題となるのか?  この矛盾は、日銀がパブロフの犬よろしく中央銀行 の役割といえば一にも二にも物価安定であると反応してしまうことから生まれるので はないか。 

どうも筆者には、日銀のスタッフが旧い正統性(conventional orthodoxy)に固執し ているようにしか見えない。  中央銀行は物価の番人であるとの金科玉条はそう簡単に放棄できないということはわ かるが、それは財政状況、為替状況、そして全般の経済状況と無関係ではないはずで ある。  おそらく日銀はそれらは政府および民間、市場が関与することでわれわれ が関与すべきことがらではないと考えているのだろう。

しかし、現実には政府にできるデフレ対策はもうないと言ってよい。 財政悪化は極 限にまで達し、景気刺激のための規制緩和、行政改革もしばらくはかなり強烈なデフ レ要因となる。  それは日経平均株価が2万円近くで推移する中で情報通信関連以 外の企業の株が概ね低下しつづけていることが裏付けている。  もちろん中には元 気のよい内需関連企業はあるが、トータルとして見たら厳しい現状である。  GD Pもどうやら2四半期連続でマイナスとなる模様で定義上は不況への逆戻りである。   辛うじて先行きがまだなんとなく明るいのは株式市場の活況とIT革命への希望 があるからであろう。  設備投資が頭をもたげようとしているのは、いずれは消費 が上がってくると思うからこそである。  

政治的立場上そう言うしかない(と思っている?)大蔵大臣や経済企画庁長官と同じ く、日銀まで景気は自律的回復軌道に乗っていると考えているとしたら恐ろしいこと である。   消費があがってくる保証どころか兆しすら乏しい。  企業セクター が何とか情報関連投資とコスト削減、債務免除などで持ちこたえても、パイが大きく ならなければ近い将来には年金、健保問題が立ちはだかるであろう。  経済の責任 者はより大きな構図を意識して舵取りをすべきであるが、日銀はどこまでを見つめて いるのだろうか。  物価安定は絵の一部であるということを日銀は理解しているの だろうか。

 


00/02/08(水)「投信大量設定に死角はないか」

運用資産一兆円に迫る野村の日本株戦略ファンドをはじめここへ来て投信の大量設定 が続いている。  以前は投信といえば「総ヤラレ」というイメージすらあったが、 昨年の情報通信株相場を追い風に高リターンのファンドが続出し、昨年後半あたりか らにわかに脚光を浴びてきた。  

日経平均株価こそ20000円の攻防となっているが、日本を代表する企業の株価は 続々と上場来高値を更新している。 それもそのはず代表的な投信のポートフォリオ を見るとどこにも同じような銘柄が並んでいる。 一部大型株ではNTT、ドコモ、 ソニー、松下通信、村田製作所、アドバンテスト、ローム、京セラ、富士通、NEC など、新興株ではソフトバンク、光通信、ヤフー、日本オラクル、グッドウイル、 ファーストリテイリング、トレンドマイクロ、FSASなどが代表的だろうか。

普通考えると人と同じようなことをやっていては勝てないように思えるが、これらの 数十銘柄は全体でおそらく年率100%以上の値上がりとなっているのだろうからT OPIXなどをベンチマークにするなら同じ物を勝っていても勝てるのである。 更 に投信の運用がぬるま湯から脱しつつあるということは反面、実績の上がらないファ ンドからは資金がどんどん流出し、成績を上げられないファンドマネジャーは淘汰さ れるということでもある。  上記のような銘柄を外していてはファンド・ファンド マネジャーとして立ち行かないような状況となっている可能性すらある。

実際最近のファンドではバリュー型とグロース型で同じような組み入れ銘柄となって いるなどという珍事が起こっている。 グロース主体の投信にバリュー銘柄はほぼ見 当たらず、バリュー型が少しでもパフォーマンスを上げようとグロース型に歩み寄っ ているようである。 淘汰されつつあるファンドからは解約売り、変身して生き延び ようというファンドからは銘柄組替えの売り、そして持ち合い解消売りと旧来型銘柄 は四方八方から売りを浴びている。 その事実と低い成長性を承知の上でこれらの銘 柄に買いを入れられるファンドマネジャーはそうそういまい。 

更にある程度まではファンドは継続して規模拡大した方がパフォーマンスはよくなる 仕組みになっている。 すでにポートフォリオが構築されていれば資金流入=基本的 に既存銘柄買い増しである。 とくに今のようにどのファンドも同じような組み入れ 銘柄になっていれば運用の巧拙に関係なく資金流入がそのままファンド基準価格の上 昇になる。 逆にもし不人気で商いも薄いバリュー銘柄を仕込んだ暁に成績不振で ファンド大量解約ともなれば自分の売りで相場を崩し余計立場を悪くしてしまう。 

おそらく足元で設定される大型投信の運用責任者も投資対象のバリュエーションには 疑問をいだいているに違いない。 しかし誰もが納得するような将来性を持つ会社の 株はすでに天まで上っているし、1銘柄数億から数十億円分を短期間に買える株も限 られている。 しかも最初の半年、一年で結果を出さなければいけないのである。  以前も書いたと思うが、数ヶ月という短い投資期間の場合、直近の上昇率が高いもの ほど近未来の上昇率も高くなる傾向があるので、高いものを買った方がパフォーマン スが良くなることになる。  結果として高いとは思うが、成長性・時代性などを考 えソフトバンク、光通信を買うことになるのだろう。

皆がこのように考えれば「買うから上がる、上がるから買う」となるわけで、「投信 筋」による一大仕手相場とも言えなくもない。 ただこれが普通の仕手筋と異なるの は投資(投機?)対象の多くがボロ株ではなく優良株であることと、資金力が桁違い であることであろう。 思い起こせば高度成長期の昭和30年代に「井の中の鯨」と 呼ばれる投信時代があった。  経済や産業の拡大余地や財政状態はたまた人口構成 など当時の方が好ましい状況に思えるが、その後に待ち受けていたのは証券不況で あった。 いくら長期不況からの出口とはいえ、数年前の5−10倍の株価、3桁の PERと二桁のPBRまで揃って買うのは余りに大きい「逆回転リスク」を負うので はないか。

とりあえずは日本株戦略ファンドおよびそれに続く大型投信がどれくらいバランスが とれた組み入れをするか注視したいものである。 もしもこれまでのような一部集中 が続くのであれば立派なバブルが出来上がること請け合いである。 近年ではバブル を株式発行・交換・売却を通じて本当のお金にしてしまう錬金術が営まれているよう であるが、これも土地を担保に金を借り、それでまた土地を買って担保に入れるとい う一昔前の錬金術を彷彿させないでもない。  ただいまのところ錬金術を駆使する 企業の数は少ないし、株はそれほど担保に入ってはいないし、株の時価総額もかつて の土地の数分の一にすぎない。

ゆえにこの投信バブルが日本経済に再び大きなダメージを与えるとは今の時点では思 わないが、投信を保有している人も大丈夫というわけではない。  さらに投信のす さまじいリターンを横目で眺めている年金運用者の存在も気になるところである。  彼ら何十年のタームで投資すべき人々が何十年に一度の経済革命との言葉につられて これから有名どころのIT銘柄にどっとシフトするのだとしたら、、、そのようなこ とはないと信じたいものである。

 


00/01/15(土)「二極化相場の背景」

昨年の株式市場は二極化にはじまって二極化に終わったといってもよいくらい個々の株価にバラツキが生じた年であった。 中でも象徴的であったのは数千円の株価から10万円を超える水準にまで到達したソフトバンクと光通信であろうが、反面旧来型産業ではほぼ一年を通してズルズルと株価を下げつづけた会社も少なくはない。

業界自体の先行きの明暗、業績見通しの違い、持ち合い解消の有無、投資家の見方など理由をあげればそれこど数限りないが、これほどまで極端な二極化は多くの投資家の想像を超えるものであり、株価が実態(現在および将来の)を反映しているという従来の見方を少し変えて考えて見る必要があるように思われる。

さて、高株価の典型を上げるとすれば前述したソフトバンクと関連会社であるヤフーなどがネットユーザーにはわかりやすいと思うが、ここに見られるのは徹底して高い株価を経営の武器として利用しようとする姿勢である。 これは単に従来のようにファイナンスの枠にとどまるものではなく、ストックオプションにより人件費を押さえつつ社員の士気を高め(あっというまに億万長者ならやる気もでるというもの)、株式交換により実際ただ同然で将来有望とおぼしき企業を(と)次々に合併・提携を進めるなど経営の随所で高株価を利用しているのが見られる。

ここではジョージ・ソロスがいうところの自己強化プロセスがフル回転しているように思われる。 まず真相はいかなる理由であろうと株価が上がる。 ストックオプションで株を持っている社員の士気は上がり、業績にも反映される。  業績が予想を上回ればまた株価が上がる。 すると非常に安いコストで企業買収ができる。 子会社の有望性およびもしそれらの会社が公開すればその含み益をはやしてまた株価が上がる。 時価総額が数兆円にもなれば信用能力は飛躍的に向上し、提携・買収・採用などが格段と容易になる。 優れた器、優れた人材、安い資金コストと抜群の知名度で打って出るのであるから、競争は非常に有利になる。 したがってますます株価は上がることになる。

見方によっては現代の錬金術とも言えるやり方ではあるが、多くの新興企業がこの例に倣おうとしている。 よくいえばインセンティブ、悪く言えば人々の欲望をフルに利用したこの手法は株主価値の極大化、社員の利益、社会への貢献を同時に信じがたいほどのスピードで成し遂げてきている。  しかし、忘れてはいけないのはすべての始まりは「株価」であり、高株価(上がりつづける)株価があるからこそ上で述べた多くのことがらは可能となっているのである。 事実コムデックス、ジフ・デービス、キングストンなどを自己資金および借入金で立て続けに買収した後、株価が低迷した数年前ソフトバンクは一時かなりの窮地に追い込まれている。

多くの土地、設備、技術の蓄積を必要とする従来型産業に比べて情報産業に代表されるサービス業は参入障壁が低いと思われてきた。 しかるに一番すさまじい勢いで株が買われているのがこれらの業界であったのが筆者にはしばらく不思議でならなかった。 新規事業が金になるということになれば、既存大企業の参入およびベンチャー企業の新規参入により競争が激化し利潤はすぐに薄くなると考えたからであった。 

しかしこれまでのところ現実は、事業自体が収益を上げるか上げないかのうちに、それを営む企業の株価が天文学的な水準にまで上昇し、時価総額の上では多くの一流企業を凌いでしまった。 それにより以前では不可能だったレベルの資金・人材調達が可能となり、更に競争相手になるはずであったベンチャーを次々に取り込むことも可能となった。 技術的・業績的にはそれほど変わっていなくとも、経営的には一瞬にして圧倒的優位な立場に立ってしまったのである。

これらの高株価企業がこれからどのような業績を上げてゆくか筆者には予想もつかないが、順調に業績を伸ばしてゆけば「やはり株価には先見性がある」という声が必ず出てくるであろう。  しかしその場合「株価が業績を作った」という見方が正しいと私は考えるものである。 昨年の景気を株価が作ったように。

さて、話が高株価企業に偏ってしまったが、二極化のもう一方はほぼこの裏返しということになる。  これらの低株価企業では多くの場合、業績向上は図っていても株主価値についてはあまり考慮していないか考慮する余裕もない。  いまだ負の遺産を山のように抱え、それに対処するための資産も、前を見る余裕もないような企業の場合、徳政令でも期待するのでなければはなから投資対象とは言えないので横へ置くとする。 問題はそれなりの体力もあり、場合によってはかなりの業績があがっていながら清算価値以下に放置されているような会社群である。

多くの場合、これらの企業は構造不況業種に存在するが、本来構造不況はあっても構造不況「業種」などというものはないはずである。 なぜならばその業種で長く不況が続けば倒産、廃業、合併、および新規参入の抑制により競争環境がやがて緩和されるからである。 しかるに日本では90年代その代表業種と見られる建設・鉄鋼(とくに電炉)・金融業界でほとんど状況が変わっていない。 これは中小企業では業種をこえて広く見られることである。

なぜこのようなことが起こるかといえば、どの企業も「存続が最優先」であるからである。 まったく先行きに見通しが立たないまま長年にわたって株主資本を毀損し続ける経営者に、それを援護するような政治。  不満をいだきつつも、形にして表そうとしない大株主。 長くはつづかないとわかっていながら、皆が「自分がいる間は」と現状維持を図る。 投資家はこのような構図にはっきりとNOの意思表示をしている。 そして株主価値の極大化をめざす企業の異常人気もそれと表裏一体である。

低株価企業の経営者は言うであろう。 「儲かりさえすればいいのか。 また株価が上がればそれでいいのか。 市場は単に欲望のかたまりではないのか。」  その言葉に一理はあろう、いやそれはおおよそ正しい。 しかしそういう経営者には敢えて言いたい。 公開・上場企業としてある程度の利益を出すことは必要条件である。 利益が出なければ会社は長くは存続できない。  無理に存続することは(現状に責任の重い)経営者および高齢の社員のためにはなっても若い社員や部外者にツケを回すことになる。 また市場を敵に回すということは競争条件を尚不利にすることになる。 

利益よりも自分の理念を重視して企業を経営する人がいても勿論良いが、公募株を買った株主に大きなロスを与えておいてそれでは筋が違うのではないか。 そういう経営者は是非ご自身で公募価格以上にて売却希望株主からすべて株式を買い付けてから好きにやってもらいたい。  適正利潤および株主への適正なリターンについてはいろんな意見があるだろうが、長年明らかに不十分な利益しか上げていない経営者が「社会的責任」と言っても外部では言い訳としか受け取られないであろう。 利益・採算を二の次に考える事業が最終的にどのような結末を招くかは、国および公共団体の財政の現状が示すところである。

 


99/12/26(日)「PSRふたたび」

以前このコラムで、投資指標の一つとして株価売上高比率(Price to Sales Ratio: PSR)を取り上げたことがあるが、近年滅多に表舞台に姿をあらわすことのなかった この指標が最近また使われているようである。 筆者がPSRを取り上げたのは、売 上はあるが収益性が低い会社がもしリストラなどで再生するとした場合の潜在能力を 測るためだったのだが、昨今ではもはや天文学的な水準になってしまいPERやPB Rでは説明が付かないインターネット・通信・ソフト関連株に与える指標として利用 されているようである。

たとえばインターネット関連株が平均して一株あたり売上高の20倍まで買われてい るとすれば業界平均PSRは20ということになり、新規公開してくるA社の一株あ たり売上高が300円であるとすれば、ひとまず妥当な株価は6000円という具合 である。 しかし、業界平均のPSRが妥当であるかどうかには議論の余地があるよ うに思われる。

PERの場合、その逆数である益回りがそのまま時価で投資した場合の株主へのリ ターンになるので、金利やその他投資媒体との比較が容易である。  しかるにPS Rは投資リターンに直接関係ない指標である。  そもそも余程の成長可能性を持つ 会社か、余程利益率の高い会社以外は株価が一株あたり売上高の数十倍もしていたら 投資リターンはお話にならない。  

仮に売上高が年率3割強の成長を5年続けるとして5年後の売上高は今の4倍程度、 10年後で15−20倍である。  PSR30倍とすれば高成長を10年続けても まだ株価は売上の倍程度である。 売上高経常利益率を10%(日本企業としては良 い部類である)、法人税実効税率を40%としてその時点でのPERは30倍前後で ある。  この変化の激しい業界で10年ははるか先である。 既存の大企業の参入 も予想され、新興勢力の中では勝ち残れる企業より淘汰される企業の方が多いであろ う。 

もともとネット株の投資尺度にPSRが持ち出されたのは、本家米国では公開まもな いネット関連企業のほとんど赤字で資産もなく、従来の尺度で使えるものが他にほと んどなかったからであろう。 たしかに他に真似できない独自の技術を持ち、半ば無 限大の成長余地を持つ会社を評価するのにPERもPBRも役には立たない。 しか し、プロバイダー事業のように参入障壁も低く、既に既存の大手が何社もあるような 業界への新規参入企業や、ネットインフラとはいえ特に画期的であったりデファクト スタンダードを確立しつつあるわけでもない企業の株価が売上の数十倍というのは筆 者の理解を超えている。

相場に熱狂はつきものであり、トレンドに付き短期でさやを抜こうという投機家がこ れらネット・情報関連株に群がるのはわからぬではない。 しかし長期投資を旨とす る投資信託がこれらの株をターゲットとしてつぎつぎと設定されているのには危惧の 念を抱かざるを得ない。 日本経済とくに従来型産業の行き詰まりがこれだけ顕著に なってくると、新規開業、既存企業の参入ともに情報・通信産業にしばらくは集中す るであろう。 その動きを利用できる立場にあるか、逆に新規参入組みに押される立 場にあるかの選別が必要だし、市場でも近い将来それは起こってくると予想される。  証券会社、運用会社などがこぞってこの分野のアナリストを集めているのがその証 拠である。

さて、結論としてネット企業だからPSR何倍という捕らえ方は投資家としてそろそ ろ終わりにした方がよいと思われる。 とくにPSRが数十倍に達する場合は企業内 容の吟味が必要である。 それより、持ち合い解消等で売り込まれている企業にPS Rが0.1−0.2倍程度のものが増えてきている。 多くの場合重厚長大で負債も 年金債務も大きいので魅力に欠けるが、中には財務内容がよく前向きのリストラに取 り組むための十分な体力があるのに同じように売り込まれている企業の株がある。   財務に爆弾をかかえていないのに、PSR,PBR、PERがそろって低い会社の 株は持ち合い解消過程が買いのチャンスである。

とくに来期からは資産の時価評価が進み、株や土地の含みがより外部からわかりやす くなる。 正味自己資本が株価を大きく上回り、PSRが低い(PERも低く配当利 回りが高ければ尚良い)会社の株は持ってよし、買収されても良しだと思うのである が、持ち合い解消と称してすこぶる安値で売ってくれる奇特な人もいるかもしれな い。 ただ開示情報を基に投資する場合、情報の正確性・信頼性が必要条件である。  この点で虚偽情報の開示への罰則強化が望まれるところである。  旧山一證券で は経営陣のみならず監査法人も訴えられているが、このような動きがより厳密な情報 開示につながることを期待したい。


99/11/22(月)「いつか来た道」

 店頭株の活況は2年目に突入し、最近では新規公開もさることながら既に公開してい る企業の公募増資や株式売出しが目立つようになってきた。 既存の株主からすれ ば、自分がそれを引き受けようとするのでなければ時価発行増資をする際の株価は高 い方が良いし、株式を売り出そうとする人達(多くは経営陣・親会社・持ち合い先) にとっても株価は高ければ高いほどよいので、活況に公募・売出が多くなること自体 は自然なことではある。

 しかし、人間の習性から見て自然であるということと、投資家や市場にとってそれが 健全であるか、有益であるかということは別問題である。 とくに公募・売出しの前 の短期間に当該企業の株価が急騰している場合が多ければ尚更である。  これにつ いては、鶏が先か卵が先かという議論になってしまうが、筆者が見る限りでははじめ に株価水準が高値圏にあり、その時点で公募・売出しが計画され、そののちに更に株 価が理屈では説明がつきにくい水準・上がり方にて高騰するというように見える。

 誤解を恐れずに言えば、公募・売出しには相当程度株価操作が絡んでいるのではない か。 その証拠に、公募があるという噂が立つだけで株価が急騰する例が後を立たな い。 もちろん公募増資がその企業の財務体質を強くし、さらなる成長の源となるこ とは事実である。  しかし、増資の価格も規模も理由もわからないうちからそれを 評価することは至難である。  実際は過去の経験から公募増資を実施する企業の株 は増資期日に向けて上昇する傾向が顕著であるから、増資の噂で株が買われるのであ ろう。

 それでもまだ、増資は成長途上の企業にとって有益なことが多く、人為的な煽りがな くともある程度株価が上がるのは理解できる。  しかし不可解なのは株式の売出し に向けて株価が上昇することである。  本来であれば経営に近いところにいるもの が大量に株式を手放すということはどちらかといえばマイナス材料である。  経営 にタッチしている者が、自分の会社の先行きに自信があれば、また株式が割安だと思 えば何故大量に株式を手放すであろうか。

 企業経営者の中にはそれこそ聖人君子みたいな人もいるかもしれないが、少なからぬ 場合は「今手放した方が得」だと判断するから手放すのであろう。 成長途上の会社 で、単に株主を増やしたい、流動性を増したいと考えるなら、公募増資した方が会社 のためになるだろう。  または公募増資+株式分割という組み合わせもある。   インサイダー天国の日本にあっては株式売出しのうわさから逆に株価がずるずると下 落するのが自然ではないか。  そうならないのは恣意的な株価上昇策がとられてい る可能性を否定できない。

 証券取引等監視委員会(日本版SEC)はこれまでに数件のインサイダー取引を摘発 しているがほとんどが小規模の個人レベルの不正である。  経営陣および証券会社 を巻き込んだ大規模な株価操作についてメスはほとんど入っていない。 公募・売出 し・自社株買いなどは合法にみせかけた不正の宝庫だと筆者は睨む(事実ひどいと 思った例を告発したこともある)が、不思議と当局はそういうケースには関わりたが らない。

 未来のことを断言はできないが、過去を見るかぎり株価が絶壁を登ったあとの公募・ 売出し株を引き受けた投資家の将来は明るくない。  会社四季報をめくって見れ ば、そこには店頭平均株価がこれほど回復した今見ても驚くような高値で公募増資を した会社のオンパレードである。  今公募・売出しをしようとしているその会社の 3年後、5年後がそこに加わっていないとどうして言えるだろうか。

 最後に株式分割について少々。 今年に入って株式分割の発表を期に株価が急騰する 例が目立つが、増資と違い分割は株価にとって基本的にニュートラルなことがらであ る。 たしかに高配当の会社の場合分割による配当増は無視できないことがらである が、成長株は配当ではないというのが市場のコンセンサスだったはずである。  R OEは分割があろうとなかろうと同じであるし、EPSは分割に応じて減少する。   新規株主が増えやすい反面、既存株主は売りやすくなる。 パブロフの犬ではない が、「分割?株価上昇」という条件反射があるにすぎないのではないか。

 だとすれば、インサイダー情報等であらかじめ買っておいた人間以外は分割発表後株を買っても既に株価が割高となっているので分が悪い。 同じその株を買うにしても時期を改めた方が賢明であろう。  新規公開株の初値買いも昨今のような状態では投資としては賢明とは言えまい。  ごく目先の投機かよほどその会社の将来に確信を抱いている場合以外は手を出さないのが無難である。 投資に見送り三振はないのだから、時速150キロの快速球や必殺フォークなどは無視して、棒球を待てばよいのである。  さようにシンプルなことながら自分を含めなかなか実行できないのは人間の根源的な欲深さのせいであろうか。

 


99/11/4(木)「公的介護保険をめぐる考察」

すでに導入まで半年を切ったというのに、公的介護保険については非常に議論が活発なようである。  このようなことは法律ができる前に是非して欲しいことであるが、どの党もとにかく法律をつくって制度を導入してしまいたかったので細部については後で何とかなると思っていたのであろう。  で、昨今問題となっている部分は掛け金の徴収免除と制度を利用しない世帯への現金給付であるようだ。 たしかにこの両者は制度の根幹にかかわる問題ではあるが、もっと重要な問題が見落とされていないだろうか。

民主党や自民党でも加藤氏に近い筋の主張は、介護サービスは保険料の支払いの対価として提供されるのであり、ゆえに保険料を掛けずにサービスを受けられるという状態は財政面のみならず制度的に好ましくないというものである。  なるほどそれは筋が通っているように見えるが、実は意図的にか偶然かはわからないが一番肝心な点を落としている。

もしこの介護サービスをめぐる仕組みが「保険」であるならば、各人はリスクに応じた保険料を支払わなければならない。 本来であれば各人の健康状態などを反映して保険料が決められるべきなのであろうが、国家的規模で行おうとする時にそこまできめ細かくできない、および落伍者を出せないという理由から、一律の保険料となることまでは何とか理解ができる。 しかし、既に要介護状態となっている人々が、制度開始時からいきなり月々の保険料だけでサービスが受けられるとなると、これはもう保険ではなく福祉である。

各人一律の保険料とした場合、各人が要介護となるリスクに当たる分を40歳から平均寿命にあたる年までかけて払ってゆくはずである。 ところが現在40歳以上の人々は自分のリスクに応じる額をフルに払わなくてよいことになる。 もし保険であれば、現在40歳以上の人は過去に遡って不足分を何万円もしくは何十万円支払うことにより初めて加入が認められるはずである。 そうでなければ加入者間の公平が保たれない。 今のままでは介護保険も健康保険などと同じく保険の名を借りた世代間の所得移転システムとなってしまう。

たとえそれが保険とは到底いえないような仕組みで成り立っていても、名前に「保険」とついているがゆえに妙な制限がついたりする。  従来どおり家族で面倒を見ようという世帯への給付金が出せないというのである。  確かに介護保険は介護に際して家族に過重な負担がかかっているとの声から生まれたものではある。 しかしだからといって全ての家族が他人の世話になりたいと考えているわけではない。  家庭にはそれぞれの考え方がある。 しかし、この保険は強制加入である。  家族で介護をと考えている人々も保険料をフルに取られる。  それならばせめて利用がない場合に外部のサービスを利用したとの仮定の利用額に準じた金額で払い戻したらという考え方は筋が通っている。

それにも関わらず「制度の主旨に反する」と多くの政治家はこれに反対している。 制度の主旨は「必要な人に必要な介護サービスを」であったはずなのに、今や「すべての要介護者を抱える家庭に認定に応じたサービスを」と拡大・変容している。 任意加入の保険であればこの現金給付不可というのは理解できる。  しかし強制加入では外部介護を受けたい人がそれをさして必要としない人の犠牲の上にサービスを受けるという構図となる。

これとは別に民主党にあるように、「介護は家族の義務ではなく、社会の義務である」という考え方から、皆保険を正当化する人たちもいる。  ひとつの考え方としては理解できるが、自分達がそう考えるからといってそれを全国民に押し付けるのはいかがなものだろうか。 ただでさえ、自己責任観念が乏しいことが日本の問題であり、それは金融問題を通じて民主党自身もよく理解したことである。 

子供をどれだけ産むか、子供をどう育てるか、もし子供がなければその分の費用をどう節約・運用して老後に備えるかなど、個人の人生設計がその人の老後を相当程度左右するのは当然のことである。  もちろん、運・不運はあろうが、個人の努力を期待も斟酌もしないというのであれば、それは国家が「人生は運である」と認めるようなものである。 法律や制度はあくまで建前であり、建前では「人生とは努力である」でなくてはならないのである。 

ここまで読んでいただけば既にお分かりだと思うが、介護保険の大きな問題は、1)世代間に大きな不公平があること 2)自己責任意識をより希薄にすること 3)「使わねば損」とより他人依存を強めること にある。  聞くところによると、介護サービスを利用しない世帯への慰労金は最大年10万円で調整とのことである。 100万円を超えるサービスを受ける人も少なくない中で最高10万円とは。  お人好しが割りを食うのは世の常なのかもしれないが、国家主導でお人好しに割を食わせるとなれば話は別である。

住専での農協救済にはじまり、貸し渋り防止のための銀行への資本注入、中小企業向け信用保証、大量の公共事業など弱者と呼ばれる人々のために既に大量の資金が投入されている。  税金でも住宅でも健康保険でも厚生年金でも弱者優遇が原則である。 弱者を保護することはある程度は必要で、弱者であるにはやむを得ぬ事情があるのかもしれないが、これほどあらゆる分野に弱者優遇が及ぶと国民のモティベーション・活力に影響する。 自立した責任ある個人による活発な社会を目指そうとする政府が打ち出す政策のほとんどが逆方向を向いていると感じるのは筆者だけだろうか。

 


99/10/17(日)「グリーンスパン氏の演説に想う」

先週末の米国株式市場はFRBのグリーンスパン議長の金融リスクに関する講演に反応して大幅に下落した。 マスコミなどではこの一部の「バブル崩壊は予測不可能である」という部分をとらえて、行過ぎた株価に対する警鐘と見る向きが多いようだが、原稿を読んでてみると、それは実に冷静な市場、投資、マインド、リスクに関する分析である。
 その中でもリスク管理における落とし穴を自分のような門外漢にも分かるように指摘するあたりはさすがであり、彼我の中央銀行総裁のレベルに違いをひしひしと感じさせる。

グリーンスパン氏の講演の要旨は次のようなものである。 「米株式のリスクプレミアムは近年一貫して大きく低下してきているが、そのうちどれくらいが情報・技術の発達による恒久的なもので、どの程度が長く続く好況によるリスク認識の低下による一時的なものか判断が非常に難しい。
 しかし、金融機関でリスクを監督する立場のものは、リスクを過小評価したモデルを作りもしもの自体に対応できないという事態は避けなければならない。 情報伝達手段はたしかに発達したが、パニックに際してリスクを避けようと安全かつ流動性の高い資産に殺到する人々の行動パターンまで変わったという証拠はないのであるから、市場が動揺した場合には従来の分析がはじき出す以上にリスクプレミアムが上昇するであろうとの前提でリスク管理に臨むべきである。」

これを今度は筆者なりに意訳すれば次のようになる。 「米国株式市場がバブルであるかどうかはわからない。 ニューエコノミー論にも一理はあるが、単なる楽観により株価が押し上げられている可能性も否定はできない。 いずれにせよ、リスクを監督する立場にいる人間は保守的であるに越したことはないのであるから(かつての日本のように取り返しのつかない負の連鎖を引き起こさないように)、確かになくなったと言えるリスク以外はまだあると思ってかかった方がよい。  あと付け加えるとすればリスクモデルを作成する際にパニックによる極端な相場変動が十分に織り込まれていない恐れがあるので、金融機関でしかるべき立場にいる人間は平時のうちにその辺りをくれぐれも慎重に再点検する必要がある。」

氏の発言で特に興味深かったのは "Probability distributions estimatedlargely, or exclusively, over periods that do not include periods ofpanic will underestimate the likelihood of extreme price movementsbecause they fail to capture a secondary peak at the extremely negativetail that reflects the probability of occurence of a panic" というくだりである。 またこれも要約すれば「パニックによる相場急落を(余り)含まない統計採取期間で作られたモデルでは、パニックによって起こる極端に悪いリターンを反映できず結果として価格変動(リスク)を過小評価してしまう」となる。  奇しくもこの投資リターンの分布が実際には正規分布にならず、テールの部分が厚くなる(極端な結果が起こりやすい)という意見は、「マーケットの魔術師」などで複数の一線級の相場師たちが指摘していたことと同じであった。

最近VAR(バリュー アット リスク)という語句を目にする機会が増えてきたが、筆者はつねづねそれが非常に極端なケース(確率的に稀なケース)を切り捨てているのが気になっていた。 VARの概念を導入していると、何かそれだけで安全になったと勘違いする人がいるかもしれないが、本当にリスクマネージメントが必要になるのは何十年に一度という極端な相場変動時であり、自分のモデルがそんな急激な相場変動を考慮に入れていないかもしれないのである。

グリーンスパン氏はまた、パニック時に平時の常識が通用しなくなることを昨年のロシア危機に例をとって指摘している。 通常であれば、株価が大きく調整するような状況では景気も悪く、金利水準も下がってくることが多い。 ゆえに債券と株式に分かれたポートフォリオでは結果はより安定すると考えられている。 しかしながら、パニック状態での相場急落となれば、資金は株式から債券へ移動するだけではなく、民間の比較的格付けが低い債券から安全性・流動性の高い国債へ移動し、結果として大部分の債券価格は株価と同じく急落してしまう。 こういう事態をリスク管理モデルに織り込んでいないと昨年のLTCMの二の舞いにならないとは限らない。

優秀なモデルを築くことは大切であるがそれで十分ではなく、グリーンスパン氏が演説の終わりに言ったように("the advent of sophisticated risk modelshas not made people with grey hair, or none, wholly obsolete) 、経験豊かな人による判断力もいざという時には欠かせないであろう。 余談になるが、欧米の風習とはいえこういう含蓄とユーモアのある文章で演説を締めくくるなんて素敵なおじいさんではないか。

このように今回のグリーンスパン氏の発言は、いつ来るかわからないバブル崩壊やFEDの出方を予測して一喜一憂するよりも、とにかく極端な相場変動にも耐えられるような資産構成および人員配置にしておきなさいという極めて常識的なものである。  昨年秋の機敏な利下げといい、先の確率分布に関する認識といい、足元の経済統計だけにとどまらず相場およびその参加者をリアルに洞察するさまを見ていると、経済学の枠に閉じこもり市場のことは関知せずとし、決して市場関係者を唸らせるなどということのない最近の日銀総裁や、危機が「起こってから」「表面上の」自己資本に執着した大蔵(金融監督庁)などとの市場メカニズムへの理解の格差を痛感させられる。

資本市場における日米の力の差は、知識の差というよりも、何が肝心であるかという本質を捉える力の差であるように思えてならない。 私見ではあるが、ある人の本質の理解度はその人の使う用語・表現の難解さと反比例する。  やたら難しい言葉を使って一般人を煙に巻く専門家が多いうちは、金融で欧米にはなかなか追いつけないであろう。


99/10/6(水)「ブックビルディング方式の功罪」

「事ここに極まれり」としか言いようがない。  新規公開企業MTIの公開後初値は公募価格330万円に対してなんと3000万円となった。  先日のソフトバンクテクノロジーやKCEOでも「濡れ手に粟」の声が上がっていたが、これでは一体ブックビルディングで何をやっているのかと疑わざるを得ない。  確か以前入札方式が廃止となった際に過熱回避が上げられていたように思うのだが、昨今は過熱の極みといわざるを得ない。

確かに入札方式は幹事証券や公開企業の取引先および投機家などの思惑で高い公募価格につながりがちであったが、ある意味でフェアな制度であった。 とにかく高い値段をつけた順に株が渡ったし、高い公募価格の果実の多くは事業資金として公開企業に入った。  初値で売り抜け利益を得るには投機家もかなりのリスクを負わなければならなかった。
しかるに、店頭市場が好調な昨今ではほとんどの場合公募価格はブックビルディングの仮条件の上限に張り付いている。 要は皆が上限価格で欲しいと言うのだからそれは全く需要調査にはなっておらず形式的なものである。 公募価格が上限価格になるのは事実上ブックビルの前から決まっている。 そして皆の提示した条件に変わりがないのだから、公募株をどう割り当てるかは非常に不透明である。

更に、公開企業側から見ても、ブックビルに際しての上限価格がその時点での公開予想初値の半値以下というのではやるせない。 そんなに投資家の評価が高いのに、なぜそれより大幅に安く公募しなければいけないのか。 そういう思いがあるので、抜け目のない企業ではIRを活発に行い、高株価政策を取り、株価が十二分に伸びた時点で公開時の数倍の規模での公募増資を行うようになっている。 公開時の公募株が当たった投資家と異なり、こちらの公募株を買った投資家は大きなリスクを負うことになる。

では、現状のブックビルディング方式で誰が利益を得ているかといえば、それは証券会社であり一部の大口投資家であると言うのが一般投資家のもっぱらの見方である。 以前より新規公開株は新規顧客開拓や損失補てんの目的で利用されているとの指摘があったが、現在では入札がなくなった分と、公募価格と公開初値との価格の乖離により「うまみ」は数倍あると言える。 証券会社では「公正に」決定していると言うが、それを信じる投資家はほとんどいない。

外部環境の好転は確かにあるが、店頭株の異常なまでの活況はこのブックビルディング方式の導入と無関係ではあるまい。 公募株で一瞬にして巨額な利益を手にした投資家は当然2匹目のドジョウを狙おうとするだろうし、活発な取引が証券会社における自らの立場を良くするのであれば、尚更値動きのはげしい店頭株を頻繁に売買するだろう。 仮にそれで前に得た利益の多くを失ったとしても、「もう一度いい公募株が来れば」との思いがあればそれほど慎重な姿勢にはならないであろう。

結果として個人による2部・店頭株の売買は非常に活発となり、機関投資家相手の非常な薄利に四苦八苦していた証券会社の収益はこの中間期に急回復した。 以前にも書いたと思うが、90年代に日経平均株価はおおむね店頭平均の11−13倍で推移してきたが、今では8倍台である。 もちろん指数の採用銘柄・算出方法にもその原因はあろうし、小型株の成長力が評価されていることも確かであろうが、新方式によって生まれた多額の利益が2部・店頭市場を駆け巡っていることにより株価がかさ上げされていることもあるだろう。

この「株価高騰」という大半の市場参加者にとって好ましい影響があるうえに、「いつかは自分にも回ってこないか」という期待もあるので、新方式に対する批判はそれほど声高ではないが、現状が21世紀へ向けての正しい新規公開の姿とはとても言えないだろう。 入札方式でも期限間際に一部にだけ入札状況が漏れるという問題があったので、単に元に戻せばよいとは言えない。 が、ブックビルディング方式を続けるのであれば仮条件の設定にもっと幅を持たせるとか、公募株の割り当て決定方法をもっと透明にするなどが必要であろう。

現在の市場参加者のことだけ考えると、公募株は安ければ安いほどよいし、活況な相場もありがたいので現状維持がいいのかもしれない。 しかし世間一般から見れば、現状では証券会社は特定顧客を優遇する損失補てん体質をひきずり、株式投資家はとにかく株さえ上がって儲かればいい懲りない面々ということになるやもしれぬ。 21世紀に向かって証券市場が個人の資金運用の場として健全に成長してゆくためには、市場はできるかぎり公正・透明であることが望ましい。 そしてそれは長期的には資金流入を通して優良企業の株価上昇にもつながるのである。


99/9/9(木)「目先収益が良ければよい投資対象か」

筆者の危惧などどこ吹く風で、2部・店頭市場は天井知らずの様相を呈してい る。 店頭平均株価は2000Pに迫り、わずか一年足らずの間に3倍以上とな っている。 もちろん、上昇をリードしているのは一部の好業績銘柄である。  安値から倍にもなっておらず、それなりに低いPERであるにもかかわらずPB R一倍以下という銘柄も結構残っている中、来期業績好調間違いなしという銘柄 群は短期間に5倍、10倍という上昇となっている。

業績好調の銘柄の上昇率がこれほど高いものとなっているのは、出発点が低かっ たということもできる。 しかし、足元の業績不振銘柄ではPBR0.2−0.3 倍というとてつもない水準まで売られたものが出たのに対し、好調企業群はそれ なりに高止まりしていたのも事実である。  以前までの相場回復局面ではリタ ーンリバーサルといい、下げがきつかったものほど上げが大きくなる傾向があっ たようであるが、今回は異なっている。 「良いものは良い」として一部の高収 益および高成長銘柄に集中投資の格好となっている。

ここで気になるのは、よいのはイメージと近未来の「収益」見通しであるという 点である。 もちろん、ソフトバンクや光通信のような企業に対しイメージの域 を越えて、信頼性があり今の株価を正当化できるだけの業績予想を立てることな どは無理であることはわかる。 しかし、イメージされるのはあくまで薔薇色の 収益状況であり、資産状況に思いをめぐらす投資家は稀になってしまったように 思われる。  キャッシュフローは語られるが資産内容はほとんど語られること はない。  

投資(投機)期間をせいぜい半年程度とする短期のプレーヤーにとっては、資産 が判断材料として重みを持たないのは理解できる。 資産内容がそんな短期に劇 的に変化するはずがないからである。 しかしながら、投資家とくに機関投資家 の多くは数年以上の投資スパンを年頭に置いているはずである。 仮にこれを5 年とすると、平均的な景気拡大局面を超える長さとなる。 つまり、投資家たる もの、次の不況がきた場合や突発事項がおこった場合にでも経営基盤が揺るがな い企業に投資することが必要なのである。

近年ではいかに財務内容が脆弱でも、株が人気化して想像を絶するような高値を つけると、そこで大型公募増資などしてちゃっかり資本を充実させてしまうよう な企業が少なくない。ナイーブな投資家が多いからこそ可能になる手段である が、慣れない大金を持ってしまうとM&Aと称して散財してしまう場合が多いの は60−70年代に米国企業が証明済みである。 そもそも最近の成長企業の多 くは投資の回収のめどが立つまえに、どんどん次の投資に踏み切ってゆく。 

資本が限られていて、株価も安く市場の期待もそれほど重荷にならないうちは慎 重な投資をして高いROEを誇っていても、天文学的な株価がつき、何年分もの 利益を上回る額の資本を公募増資でポンと手にし、市場の成長期待が極限まで高 まった時に冷静な投資判断ができる若い経営者がどれだけいるだろうか。 

今日のベンチャーの雄ソフトバンクも、つい数年前大きな脚光をあびて買収した キングストンとジフ・デービスの一部を売却する。 キングストン買収につぎ込 んだ資金は約1300億円で、これまでのソフトバンクの経常利益の合計をはる かに上回る金額であったが、結局半値以下でしか売却できず、保有期間中のキャ ッシュフローを差し引いても470億円程度の損失が残ったようである。 もち ろん、ソフトバンクはこの失敗とヤフーの株としての大ヒットに学習し、将来性 ありそうなネット関連企業に小口分散投資する会社型投資信託とみづからを位置 づけているが、前回3万円の株価をつけたときの戦略は失敗であり株価の下落率 も一時的に相当なものとなった。

新規事業への投資もさることながら、本業に特化し利益成長をしている企業にも 落とし穴はある。 銀行や商社などの決算がその期の事業活動を素直に反映しな い(決算がつくられている)ことは、大半の投資家が知っているだろうが、新興 企業であっても数期の決算をつくることはさして難しいことではない。 特に不 況にまかせて前期・前々期に大きな特別損失など出しているような企業はいくら 利益急回復が見込まれていても要注意である。 多くの場合そのような企業は特 損が発生する前の数期にわたり損失処理すべきものを先送りすることにより利益 を嵩上げしてきたはずである。 一旦きれいな身になったのを期に正直な決算を するようになればよいが、巨額損失で失われた信用を取り返そうと、また好決算 を作りに行く可能性は少なからずある。(逆にどうせ赤字なら悪いものを全てそ の一期に押し込んでしまえという発想もある)  特に2度あったことは3度あ ると考えるのが賢明であろう。

恣意的な特損は、在庫や土地、設備、および貸付金などの不良(過評価)資産の 償却によって生じるが、逆に見れば多少在庫を甘く見たり、回収見込みの乏しい 投資や貸付金を評価減しなかったり、あるいは借りるべき土地を購入することな どにより利益を嵩上げすることができるということである。 また、リストラに よって設備廃棄損および退職一時金が発生するかわりに今後数期の利益がかなり 嵩上げされることもある。 この場合も気をつけないと損失を回収し終わるころ にはまた新たなリストラ−特損というパターンになりかねない。 この間株価は 大きくうねるだろうが、結局根本的に収益性をあげるリストラでなければ株価は 結局もとの木阿弥となってしまう。  投機家には格好のターゲットかもしれな いが投資対象としては不適格であろう。

本来はこの辺のところをアナリストが重点的に調べ、会社の表向きの数字ではな くて真の実力・決算をこそレポートしてもらいたいのであるが、レポートはいま だに営業の材料であり買いをそそるようなものが大半である。 株式投資向上委 員会の皆さんは投資にあたっては、株価のマジシャンたる企業(とくに超高値で の公募・売出し)にはひっかからないようくれぐれも気をつけていただきたい。


99/8/21(土)「値嵩成長株は買いか?」

公募価格から100倍化したヤフーをはじめ、成長途上にある企業の株価はこの一年近く棒上げである。弁之助委員長のコメントにも幾度となく登場したであろう光通信、ガリバーなどの店頭株、FSAS、オービックなどの2部株、ドンキホーテ、ゴールドクレストなどの店頭から2部昇格組、ファーストリテイリング、ソフトバンクなどの1部昇格組など5−10倍株は目白押しである。 一万円クラブという言葉が出来てから仲間入りする銘柄が相次ぎ、おそらく今では50銘柄近くになるのではないだろうか。

この背景にはもちろん昨年末からの超低金利および金融緩和があるのだが、日経平均が安値から40%ほどしか上がっていないのにくらべて、これら成長(期待?)株の上昇率は際立っている。 それどころか、どこであろうといつの時代でも一年以内にこれだけ多くの銘柄が5−10倍化するなどということは極めて稀なことであろう。 会社が成長するといっても多くの場合持続可能なものは年に30%程度であり、そのペースだと利益が5倍になるのに6年余り、10倍になるのには9年近くかかる。 株価の上昇ペースはおおよそこの10倍である。 昨年までの過小評価があるとはいえ、あまりにも速すぎやしないか。

ここで一つ試算をしてみよう。 今の時点で株価、一株純資産ともに1000円、一株あたり利益は100円で年30%成長をし、利益はすべて内部留保するという会社があるとする。  相当割安で昨秋の水準に似ているように設定してある。 この会社の5年後のEPSは371円、BPSは2176円である。 10年後のEPSは1379円、BPSは6540円である。 仮に5年で株価が3.7倍に、10年で株価が13.8倍になったとしてPERは同じ10倍であるが、PBRが高くなっている分だけ当初より投資の分は悪くなっている。 これに対し、最初の水準が割安すぎたのであり、仮に10年後以降成長が鈍化して一般企業並みとなっていても25倍程度のPERはあってもよいと見なせば10年後の株価はおよそ37500円となるが、この水準ではPBRが5倍となり普通の会社にしてはちょっと高すぎる。

上の設定では、最初の株価・BPSともに1000円で、EPSが100円であるので、ROEは10%となっている。 それで利益が年30%増えるのだが、株主資本はそれよりゆっくり増加する。 したがって、この設定ではROEが年々上昇して、10年後には21%にまで上昇している。  このような例はないではないが、会社が大きくなるにつれてROEが大幅に上昇しつづけるというのは余り一般的とはいえないだろうから、次にROEを一定にした設定で試算をしてみることにする。

第二の例では、同じく株価1000円、EPS100円ながら一株あたり株主資本を400円とする。 これだとROEは25%となるが、それを維持しながら10年間利益成長を続けるとする。 これでゆくと10年後のEPSは931円で、BPSは3725円となる。 10年後のPERを30倍とすると株価は27940円となるが、これだとPBRは7.5倍とかなりの高水準となる。 この水準の株価を正当化するためには10年後もそれなりの成長余地が残されていることが必要となるだろう。

とはいえ、たとえ今高成長企業であっても、この変化の激しい時代に10年以上先のことはほとんどわからないので、今後5年間は年率35%のペースで利益成長するが、その後は毎年5%ずつスローダウンし、11年目以降は年5%成長という普通の企業になるとの設定にする。 当初の株価は1000円、EPSが100円、BPSが500円とする。 この第三の設定では10年後のEPSは1106円、BPSは6141円となる。 この時点でPER20倍とすると株価は22000円余り、PBRは3.58倍となる。 普通の会社となっていることを考えると、これでもまだややPBRが高いように見える。

いずれの設定も配当による利益の流出や増資による資本増強が考慮されていないので、ソフトバンクやゴールドクレストのように高株価を利用して、その利益水準にくらべて超大型の増資をして事業拡大を図るような会社を試算の枠にはめることはできない。 しかしながら、大部分の成長企業が増資をするわけではないし、過去の例からも増資後も以前と同様の高い資本効率を維持できるかどうかは不透明である。 上記の試算は一応の目安くらいには使えるのではないか。 さてそこで試算によれば、相当割安なスタートポイントから出発して、10年後の妥当株価は当初の20−40倍程度である。 すでに一年足らずの間に株価は5−20倍になっているのだから、残り9年余りの上昇期待値はかなり小さいと言えるのではないか。

もちろん、個別株によって上昇余地はさまざまであろうし、実際のところは神様でなければ10年後にしかわからない。 ただ、すでに10倍化していて、すべてが順調に行った場合の10年後の株価が30倍なのであれば理屈の上からはあと3倍になるだけである。 これは年率に直せば12%台のリターンに過ぎない。 これはその間に取るリスクに比べれば決して良い数字とは言えないのではないか。 PER100倍、PBR15倍という状態で一転減益とでもなれば、株価は半分になっても何の不思議もない。 一時の減益ではなく、成長路線自体にひびが入れば、株価が四分の一になってもおかしくない(それでもPER25倍以上、PBR3.5倍以上ある)

こういった怪しげな数字を積み上げるまでもなく、株価は長期に上昇する場合にトレンドを作ることが多いのだが、年率数百%というトレンドを長期にわたり形成することなど不可能である。 長期投資の場合トレンドラインを大きく上に超えた時点での投資は一般に勧められない。 仮に10年で100倍になるにしても、これらの銘柄の多くはトレンドラインから大きく上方に乖離している。 こういう状況での株式購入は、いかに会社の可能性が大きくとも、相当投機性が高いと認識すべきであろう。 もちろんこれは一般論であり、中にはなるべくして利益が100倍になるような会社も中にはあるだろうが、いかに綿密に調査したとしてもそれを高い確度で予測することは極めて困難な仕業である。

あくまで私見ではあるが、このままでは昨秋からの一部の銘柄の急騰は過剰流動性の中で起こった短期の集中豪雨型バブルだったということになるのではないかと危惧している。 金融緩和はまだ当分続くであろうし、PER100倍まで買ったものを200倍、300倍まで買えない理由は特にないからである。 四季報で各銘柄の過去の高値を順に見てゆくと「この銘柄がこんな高値を付けていたのか」と思う例が意外に多いことに気づくはずである。 これが杞憂に終わりうまく軟着陸できると幸いであるが。


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